2015年09月23日

積木くづし

必死に形振り構わず成立を妨害してきた「安保法案の戦い」も敗北に終わり、安倍政権の支持率も下げ渋ったことを民主党は苦々しく思っているのだろう。だいぶ前から燻っていた「解党的出直し」議論がまたぞろ起きだしたようだ(読売電子版)

民主党の中堅・若手議員で浮上した「解党論」が、保守系の党幹部クラスにも広がっている
>長島昭久・元防衛副大臣は14日、記者団に「野党結集のため、身を捨てる覚悟が必要だ」と述べ、解党すべきだとの考えを示した。自身のフェイスブックには「一日も早く解党し、党派を超え、国民の常識ど真ん中に立脚した政策を掲げる健全な野党勢力を結集するしかない。そうでなければ、自公政権に代わる政権の受け皿づくりなど夢のまた夢だ」と書き込んだ
民主党の解党や党名変更の案には、維新の党との合流を軸とした野党再編に勢いをつける狙いがある。3日に当選3回の岸本周平衆院議員らが岡田代表に要望して表面化し、今回、細野政調会長に近い長島氏が発信したことで、党全体に影響する可能性がある


過去、この党には数多の野党が集合離散してきた歴史がある。何党と何党がくっつき、離れ、名前がどう変わったのかほとんど思い出せない。それほどに変節・変質を遂げてきた「鵺」のような集団である。

民主党の解党・党再建論は俺の感覚では「積木くづしゲーム」のようなものだ。作っては壊しを繰り返すが、党の理念たる綱領も持たないから簡単に「再建・再生・転生」してきた。議員一人ひとりをつなぐ「芯」が無い様は、接着剤も釘もない積木の城に見える。

今またその愚を繰り返そうとしている。長島氏の意見には「国民の常識ど真ん中に立脚した政策」とあるが、国政を預かる公党として最も大事な「国家観」が語られていない。土地を定めずに家を建てようというに等しい。よもや「反自民」だけで議員がまとまり国政が担えるなどと、甘い考えを未だに持っているわけではあるまいが。

そもそも「国民の常識」などという曖昧で得体のしれないものにどう立脚しようというのか。それはポピュリズムと何が違うのか。理念なき烏合の衆が集まるだけならまたぞろ「選挙互助会」の域を出ない。旗色が悪くなればまた「解党的出直し」をするのだろう。

野党第一党の幹部が、こういうレベルの低い底の浅い議論しかできないところに日本の政治の哀しさがある。
posted by 三四郎 at 14:14| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする