2015年11月23日

最高権威の名において

ISによる無差別テロがますます過激化するなか、フランスでは一般のイスラム教徒に対する偏見と憎悪が高まっているらしい。

理不尽なことだが、もともとのフランス人にしてみれば、普通のムスリムとテロリストの区別がつかないという意味で本能的な恐怖がある。しかも突然に同胞―中には家族や友人もいただろう―が一方的に殺されたのである。これまた、いやこれ以上に理不尽なことはない。怒りのやり場をムスリムに求めてしまうことを、賛成はしないが理解はできる。

こんな状況のなか、イスラム教スンニ派の最高権威が長老会議において「テロとイスラム教を結びつけるのは不公正だ」と発言したという(読売電子版)

>パリ同時テロを受け、イスラム教スンニ派の最高権威「アズハル機関」は21日、11か国のイスラム指導者を集めた「ムスリム長老会議」を開いた
>機関の指導者アハマド・タイイブ師は演説で、「テロとイスラム教を結びつけるのは不公正だ」と述べ、イスラム過激派組織「イスラム国」の残虐行為は、イスラム教の教えとは無関係だと強調した。ただ、「イスラム国」がテロなどの根拠として聖典コーランや有名イスラム法学者の言説に触れていることについて、具体的反論はなかった
「イスラム国」を巡り、イスラム教の宗教界は有効な対策を打ち出せないでいる。「イスラム国」が依拠する教義の中に一般教徒が受け入れている教義と重なる部分もあることなどが背景にある


イスラム教のことについては全くの門外漢だが、素朴な疑問として、なぜもっと強い言葉でISに向けた非難がなされないのかと思う。この演説の他のところで触れているのかもしれないが、「テロとイスラム教を結びつけるのは不公正」とだけ言うのではそれこそ公正でない。

テロとイスラム教を結びつけるのは確かにおかしい。しかしそれなら最高権威としてISを完全否定するなり破門にするなりといった措置はとれないのか。

ISは聖典コーランや有名イスラム法学者の言説に触れ、その教義には一般教徒が受け入れている教義と重なる部分もあるというが、それで免罪されるものではない。実際連中のしていることはイスラムの名を騙った殺人でしかない。正統なイスラム教が犯罪に利用されているのが現実ではないか。

ISがイスラム教徒ではないと最高権威が公言すれば、自ら神もしくは指導者の名を騙ろうともそれは僭称になる。ISを根絶するために世界の指導者がすべきことは多いが、彼らの拠って立つ大義や精神的基盤を崩壊させることはその重要な一つだと思う。そしてそれができるのはイスラム教の最高権威をおいてほかにないのではないか。被害者意識に埋没しているときではあるまい。
posted by 三四郎 at 17:30| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする