2015年12月23日

一片の理性?

韓国で戦時中に動員された男性の遺族が求めていた日韓請求権協定違憲判断を、韓国憲法裁判所は「審判の対象ではない」と却下し、違憲性の判断そのものを回避したようだ(@nifty/読売電子版)

>戦時中、日本に動員された男性の韓国人遺族が、1965年の日韓請求権協定で賠償請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と規定したのは、個人の財産権を保障した韓国憲法に違反するとした訴えについて、韓国の憲法裁判所は23日、「審判の対象ではない」として遺族側の訴えを却下した
協定が違憲かどうかについて憲法判断は示さなかった
>協定を巡っては、韓国最高裁が2012年5月、三菱重工業と新日本製鉄(現新日鉄住金)に対する韓国人元徴用工の訴訟で、個人の請求権は消滅していないと判断。この判決以降、韓国各地の地裁、高裁で、日本企業に対して損害賠償の支払いを命じる判決が相次いでいた


外国との条約や協定は国内法の規定を超越するものというのが俺の中では常識なのだが、韓国憲法裁にもかろうじてこの常識感覚が残っていたと見るべきか。

いや、もしそうなら憲法に違反するものではないと判断できたのではないか。

韓国最高裁が「個人の請求権は消滅していない」と判断したということは、韓国司法が協定に瑕疵ありと見做していると考えていいだろう。憲法裁と最高裁の立ち位置や考え方にどのような差異があるのか不明だが、ともに一国の最高位に位置する司法機関であれば、憲法裁とて最高裁の判例を尊重し、違憲と断言しないまでも「違憲性が高い」くらいの曖昧、かつ韓国得意の「国民感情に沿った」判断を示すことが大いに考えられた。

それを判断さえしなかったというのは、ここ最近の「日韓関係回復ムード」に水を差したくないという政権の意向を汲んだ結果なのではなかろうか。

何しろ国際的な批判というリスクを冒してまで、産経元支局長を強引に起訴し、これまたマッチポンプよろしく無罪にするという、極めて恣意性が分かりやすい判決を出す国である。今回の「判断」も国際常識や法理論に基づくというよりは、政治的配慮という側面が強いような気がする。いずれにせよ日本にとっては終わった話、韓国内で議論するのは勝手だが、「今度は日本が譲歩する番」などとねじ込まれても毅然と跳ね返すだけだ。

もっとも個人的には「違憲である」と力強く断言してもらい、国際社会が改めて韓国の異質さ異常さを確認する機会になればと考えていただけに一抹の物足りなさが残るが(嗤)。
posted by 三四郎 at 16:40| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする