2016年01月09日

半島難民対策を急げ

北朝鮮が「水爆実験」に成功したというニュースは、日本周辺地域の軍事的緊張を一気に高め、株式市場にも大きな影響を与えている。

日本政府は米韓との連携や独自制裁の強化など、表向きの「todoリスト」に沿った対応をしているようだ。

しかし正直なところ金王朝の思考や行動原理は予測不可能なところがある。金正恩と軍部の権力バランスがどうなっているのかも見えにくい。それだけにいつ、いかなる理由で、そしてどのような形で暴発が始まるかも分からない。

そうなると日本政府として国土防衛のため計画を確立することは当然ながら、半島からの難民発生を具体的にシミュレートし、早急に対策を立案するべきだろう。韓国の北側が交戦国との国境である以上、反対側の日本に海から空から大量の難民が流入するであろうことは想像に難くなく、対策なしでは日本の治安に大きな脅威となる。

最近のドイツにおける女性集団暴行のような例もある。さらに60年前の朝鮮戦争では少なからぬ難民たちが日本に流れ込み定住しながら「弱者の地位」に居座り、権利ばかりを主張することでこの国を内部から蝕んでいる現実も忘れてはならない。

ミサイルや核攻撃といった直接的な脅威以上に、半島難民発生は遥かに現実化の蓋然性が高く、人道的問題もあって扱いが難しい。政府は中東難民に翻弄される欧州各国を他山の石として、半島難民の対策を急いでもらいたいものだ。
posted by 三四郎 at 18:50| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

自己満足

去年の暮は「従軍慰安婦問題」についての日韓合意でひと騒ぎあった。ことの成り行きは引き続き見守るとして、これに関しいわゆる日本のリベラル派に属する学者が、「日本は自国の戦争責任を認め謝罪した稀有な国」という主旨の記事を雑誌に寄稿しているようだ(NEWSポストセブン)

前段略
>実は世界史を広く眺めても、自国の戦争責任を認め、他国に謝罪し、賠償した例はほとんどない。そうしたなか、国として誠意を見せた数少ない例が日本なのである
>1995年、自社さ連立政権の村山内閣時代にアジア女性基金(正式名称「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」)が設置され、1996年から2007年まで、民間からの募金により各国の元慰安婦に対して1人当たり原則として200万円の「償い金」が支払われた
>重要なのは、その際、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎という、タカ派を含む自民党の歴代総理大臣による手紙がつけられたことである。その手紙は「いわゆる従軍慰安婦問題」は「当時の軍の関与」の下に起こったと認め、「日本国の内閣総理大臣として」「心からおわびと反省の気持ちを申し上げます」と述べている。それに加え、国の予算で5億円余りの医療福祉事業も行われた
>1965年の日韓基本条約によって日本に対する韓国の請求権は完全かつ最終的に解決済み、というのが日本の立場である。だから、「アジア女性基金」は日本の法的責任を認めるものではなく、道義的責任を果たすものだ。その意味で百点ではないかもしれないが、自国の戦争責任にここまで踏み込んで他国民に賠償し、謝罪した例はないはずだ。本来、その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべきなのだ
>ところが、元慰安婦を支援する韓国と日本の一部の団体日本のそれはリベラル派であるは日本政府の法的責任と国家賠償に固執し、「アジア女性基金」を「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔(あざむくこと)的手段」などと猛批判した。韓国では、「償い金」の受け取りを希望する元慰安婦に対し、脅しにも等しいバッシングが行われたほどだ
>ちなみに、保守派の一部は「アジア女性基金」を「土下座外交」だと批判した。そのように保守とリベラル、右と左が、ともに日本を道徳的な高みから引きずり下ろそうとしたのである
リベラル派の言説を一般の国民が「過度の自己否定」と捉えたのは当然で、それへの反発から「過度の自己肯定」や「リベラル嫌い」の空気が生まれた。リベラル派はそれを批判し、困惑するが、責任はリベラル派自身にあるのだ


リベラル派による自己批判的な色合いがにじむ記事で、最後の一説には同感できる。

しかし主要な文意としては、「日本が戦争責任を認めて謝罪した世界的にも稀有な国であり、世界に評価されていい誠実な国家である。その『道徳的高み』から引きずり下ろすことは右も左もすべきでない」というものだろうが、これには賛成しかねる。

「世界的に稀有な国」であるかどうかはどうでもいいことである。「だからもっと評価されていいし、その道徳的な姿勢を傷つけるような言動はすべきでない」と言われるが、これは相手の善意や好意に期待するいかにも日本人的な甘えである。あるいはただの自己満足だ。

世界は果たして日本のことを「道徳的」と思っているだろうか。過去に振り回され未来に逡巡する軟な国と思われているのではないか。

少なくともこの腹黒い世界では、自ら頭を垂れて相手の善意や好意に期待する国はない。みな白を黒と言いくるめ、自分の田んぼに水を引くようなことばかり考えている。いや政治とはそれが普通だろう。善悪や好悪の問題ではない。

そんな中で「自分はこれだけ誠意を見せているから、きっと分かってくれるはず」とばかりに孤高の峰に留まっているような国は余程の愚鈍者か、突き放して見ればピエロでしかない。

概ね性善説に立ちたがる日本人の特性は良しとしつつも、所詮は理想主義的な学者の言でしかないと感じた。
posted by 三四郎 at 14:21| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月02日

中国インフラの落し穴

昨年は日本が本格的にインフラ輸出に注力したものの、中国側のダンピングの域を超えた攻勢により受注をさらわれる案件が目立った。一時は今後の日本の方向性にも影響が出かねないと危惧したが、導入国にとってはやはり「安物買いの銭失い」になりそうである(読売電子版)。

中国企業が受注した東南アジアの大型インフラ(社会基盤)案件で、工事の延期やトラブルが後を絶たない
インドネシアの高速鉄道計画は着工が遅れ、「2019年開業」が早くも危ぶまれる状況だ。事業費が当初予定から大幅にふくらむケースが多く、現地政府が振り回されるケースも少なくない
>インドネシアのジャカルタとバンドンを結ぶ約140キロの高速鉄道計画では、日本と中国が激しい受注競争を繰り広げた。結局、中国が昨年9月、インドネシア政府の負担をゼロにするという「常識では考えられない」(日本政府高官)案を示し、採用された。中国の計画は「18年完工、19年開業」を目指している。19年にインドネシア大統領選が予定され、現政権の成果にできることも採用の決め手となった

>インドネシアは、石炭火力発電所を約30か所建設する計画を06年に始めたが、大半を受注した中国企業の工事が遅れ、完工が09年末から16年末に延期された。完成した発電所でも、ボイラーなどが中国基準で、部品を交換できないなどの問題が起きているという
フィリピンでは、首都マニラと北部クラークを結ぶ約100キロの鉄道計画が04年に中国の援助で始まったが、比最高裁は10年に入札を経ていない契約を無効と判断し、全面凍結された。比政府は融資返済で中国側と争っている。38キロの区間は、日本が政府開発援助(ODA)を供与し、建設を進める見通しだ


インドネシアやフィリピンには気の毒だが、中国と付き合う上での授業料と考えてもらうべきだろう。目先の費用を惜しみながら、自分の成果にはしておきたいという為政者の浅ましさを思えば、言葉はきついが「自業自得、因果応報」というやつだ。

工事の遅延は技術だけの問題ではない。資金計画や人材配置のノウハウも中国は未熟だ。そもそも未だ自国内のインフラ整備さえ覚つかず、使いもしない橋や道路やビルばかり建てて「鬼城」を作るしか能のない中国企業が、ただただ金を求めて国外に打って出たのが「中華インフラ」であるというのが俺の認識だ。

それは去年相次いだ工場・倉庫の大規模爆発や地滑りと見まがう建設残土の山崩壊事故を見れば十分だ。あの国の事業者の頭の中にあるのは「金」のみであり、物理的な安全も心理的な安心も眼中には無い。だからそれが技術の根幹、肝であることにも思い至らない。

日本は高コストと言われるが、「安全・安心」に十分なコストをかけているということ、それこそが日本ブランドの価値であることを、相手国に訴求していけば日本に勝機は十分ある。

すぐに壊れるモノでもまず早く整備できればいい、カネはないから安ければ安いほどいいという顧客は敬して遠ざけるべきだろう。それなりの経済力があり将来性が見込めるような顧客なら、事故発生時の損害や先々の維持コストを想定し正常な判断ができるはずである。

日本の王道は「安全安心・高品質・高付加価値」であることにもっと自信を持つべきだろう。
posted by 三四郎 at 13:26| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

謹賀新年

日章旗.png

あけましておめでとうございます。

皆様方には恙なく新たな年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年中は弊ブログにお運び下さり誠にありがとうございました。

今年は私の記憶に間違いがなければ、この7月でブログ開設満10年になります。goo 時代の当初は身辺の日記に折々の話題を混ぜるといった内容でしたが、いつしか時事問題それも反日勢力批判中心の、一端の「保守ブログ」の色合いになっていました。

goo のころに比べればサイト訪問者数も桁違いに減りましたが、それでも訪れてくださる常連の方々にはただただ感謝するばかりです。

今年は次男も社会人となり、親の役目に一区切りがつきます。一方で老親の問題は日々心配の種になっております。

しかし親としての務めも子としての役割も、日本という国、社会が安寧で盤石であればこそ尽くすことができるわけですから、その日本が貶められぬよう、またおかしな方向にいかぬよう、今年もまた微力ながら意見を発信していきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by 三四郎 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(4) | TrackBack(3) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする