2016年06月05日

危機の本質

いわゆる「スノーデン事件」の当事者でロシアに亡命中のエドワード・スノーデン氏が、日本の東大で開かれた「監視の“今”を考える」というシンポジウムにネット参加し、「日本の危機」について語ったという(@nifty ニュース)

アメリカ国家による国民の監視の実態を内部告発し、世界を震撼させたエドワード・スノーデン氏が4日、亡命先のロシアからネット回線を使い、東京大学(本郷キャンパス)で行われたシンポジウム「監視の“今”を考える」に出席した。個人情報の大量収集が市民社会にもたらす影響や、近年の日本政府による情報コントロールの危険性について鋭く語った

中略

>「日本社会の現状をどう見るか」との質問が出ると、同氏は「特定秘密保護法以降、安倍政権の静かな圧力、インセンティブ(見返り)を伴う圧力がメディアにかかり、危機的な状態では? 視聴率のいいニュース番組のアンカーマンが降板させられている」と指摘したうえで、「ジャーナリズムの役割は政府のいい点、悪い点を評価し、いつ権力の逸脱や乱用があったか、国民に知らせることにあって、それがなければ民主主義の議論は成熟しない」と議論を展開した
>インタビューの最後、さらにスノーデン氏は「結局、プライバシーとは、あなたが公開したくないことは公開しなくていい権利、あなた自身である権利だと思う」と切り出し、「無制限の監視ではプライバシーは社会のものになり、人権侵害の問題に行き着く。政府の方針に任せるのでなく、市民が社会の主役となり、監視のリスクを議論すべきです」と力説した
以下略


国権による無制限な個人の監視は許されるべきではない。しかしテロやグローバル化した犯罪が横行する今日、個人情報への不介入によるリスクとのバランスの上に立って、ゼロサムでない建設的な議論はもっとなされなくてはなるまい。

ところで「強権国家、監視国家」という意味ではロシアも相当なもので、そういう国家に身を寄せている自分に矛盾は感じていないのかという疑問はある。ロシアが同氏を米国との政治的駆け引きの道具にしていることに気づいていないはずはないと思うが。

それはさておき、同氏の日本に対する「危機認識」はかなり偏っていると感じた。特に「特定秘密保護法」や「安倍政権」の「圧力」によるニュース番組のアンカーマン降板云々は何やら日本のサヨク陣営の論調そのものであり、このシンポジウムの主催者の政治的スタンスと軌を一にする、つまり都合のいい広告塔のように見える。

特に「インセンティブ(見返り)を伴う圧力」とは具体的には何か。推定するに公平な報道を行わないTV局に対する「免許停止」「停波」といったところではないかと思うが、実際はこれに賛同する国民も少なくない。それはとりもなおさず、国民の目から見ても現在の報道姿勢がいかに偏向しているかを物語っているという証左であろう。

その意味では一点、同氏の意見に「逆説的に同意」できるところがある。それは日本の社会、とりわけメディアが「危機的状況」にあるということだ。

「報道の自由」を標榜する一方で「報道しない自由」を盾にして自らの行動に縛りをかけているのは、多くの日本国民が感じていることだと思う。とりわけ「在日朝鮮・韓国人の犯罪」「ヘイトスピーチの理由」「特定国への批判」についてはネット社会の今日、その偏向姿勢が際立ってきている。

外国人でも自由に「危機的状況」を堂々と「警告」できる日本社会にあって、何が本当の危機なのか、怪しげな政治団体の主張に踊らされず一人の国民として考えたいものだ。
posted by 三四郎 at 09:44| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする