2013年01月14日

成人の日(雪)

朝方降り出した雨粒に白いものが混じり始めたと思ったら、昼前には本格的な雪になった。

今日は成人の日。長男も何とかこの日を迎えた。午後から市主催の式典に出るので駅まで車で送ることにしたが、玄関を開けて驚いた。千葉県ではこのごろ見ないほどの銀世界となっていた。

CIMG1213.JPG

長男を玄関前に立たせてデジカメで写真を2〜3枚とり、車に積もった雪を掻き落して駅まで送る。そこには長男の小中学校以来の友人たちが3〜4人待っていた。既に20歳となった顔が並んでいるが、長男にはすぐに分かったようだ。

私は彼らの名前も顔も覚えていないが、いずれ小中学校時代の幼い頃に会っていた子らだ。「よろしく」くらい言おうかとも思ったが雪の中だし、彼ら仲間の雰囲気に水を差してもと思い引き返した。

思えばこのブログを始めたのが、長男が中二の夏、6年前のことになる。小学校のころまでは少し気弱なところがあって、でもよくしゃべり笑う子だった。気持ちを強くするためにと始めさせた剣道は中学の部活としても続け、何とか初段までとった。しかしそのころから口数が減り、何かと苛立つような態度を取り始めたものだ。

しかし大学生活も2年になって、友人と東南アジアにバックパッカーとして旅行したり、アルバイトながら自大学と企業の産学連携プロジェクトに参加したりと人間関係も見聞も広がり、徐々に大人の雰囲気を漂わせ始めたことを、親馬鹿と知りつつ頼もしく思うこの頃だ。

その時が来れば、父親としてとか「人生の先輩」としてとか、何か言葉をかけるべきものと以前は考えていたものだが、いざとなれば改まって言う言葉などないようだ。知識や経験は友人や恩師のほうが伝わりやすいこともある。親はただ一人の人間として精一杯生きていることを見せておき、「相談できる」「聴くに値する」と感じさせることのほうが大事だろうと、このごろ思う。

夜に入っても雪は止む様子が無い。雪は上がってもしばらく道に残り、通勤に難儀しそうだ。だがいずれ雪は溶け、消えていく。しかし生きていく営みは日々に遠くなっても消えることはない。「成人の日」は親としても「成人」となり、新たな一章を書き始める日なのだろう。そう思った。
posted by 三四郎 at 18:06| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おめでとうございます。

父親と男の子は、人生の中でいろいろ関係、見る目がお互い変わっていきますよね。
私も3人の男の子の親です、三男が来年、成人になります。(上二人は家族持ちですが、いろいろ悩みは尽きません)

私たち家族はアメリカにくる前の1990−95年の間、千葉の市原市で過ごしました。
子供にとっては、千葉は故郷のようなものです。

Posted by オハイオより at 2013年01月15日 01:46
お邪魔いたします。

こちらの生活が長くなり、我が家の子供は一人も成人式というものを経験していません。まだ一人高校生が居ますが無理でしょう。長女の結婚式の時、義母と二人で4人の娘に振袖を着付けて写真は撮ったので振袖の写真はあるな。。などとくだらないことを考えながら(笑)、こちらではいつ社会人としての自覚を持つのだろうとふと考えてみました。
18になると選挙権が与えられますが、まだ親との繋がりは強く自立には程遠いように見えます。21になるとお酒もタバコも買うことができるようになり、一人前と見られるようになるのかな。。?と考えながら、自分の息子達のことを振り返ると、大学に入り2,3年したころ、ちょうど20歳の頃が、精神的に大人になったなと感じられる頃だったかなと思い、日本の20歳の成人式って、それなりに意味があるのだと改めて思っています。
子供がいくつになっても、親は親で心配の種はつきませんが、晴れて成人する息子さんを見送られる姿に共感いたしました。

息子さんの成人おめでとうございます。
Posted by M&M at 2013年01月15日 09:23
 先ずは、ご子息の成人おめでとうございます。

 成人式は日本民族独特の成人通過儀礼で、元は貴族階級のみが行った元服式で、この儀式で男女とも髪を直したり、お歯黒をつけたり、眉を抜いたり(剃ったり)し、名前も幼名から成人の名前に変え、冠位を拝領する等、慶事として様々な式典を行っています。

 平安時代は公家のみ、鎌倉に武家、室町には、庶民に迄普及した様です。 江戸期には、広く普及した模様、然し、儀式の内容はどんどん簡素化していますね。

戦後は、1948年(昭和23年)に、法令で小正月であった1月15日を成人の日が定められ祝日とされましたが、近年、ハッピーマンデー化で、毎年その日が変化するようになりました。

何歳を以て成人とするかについては、地方や階層によって異なり、その幅は5〜20歳と、究めて広かったのですが、庶民層にまで広がった江戸期で見れば15歳程度であった様です。

成人通過儀礼は民族によっていろいろ違いがあります、有名なバンジージャンプもこの一種ですし、古代の縄文人は抜歯や文身(刺青)を以て、成人の証としたようです、蛇足ながら、お歯黒は、近来の研究で、原日本人の故郷の一つとされるスンダ地方の風習の名残であろうとされています。

所で、民族の特徴である成人の通過儀礼を曖昧化するのも、WGIPのベクトルのなせる業だと感じますね。
Posted by ナポレオン・ソロ at 2013年01月15日 12:03
オハイオよりさん、こんばんは。

>父親と男の子は、人生の中でいろいろ関係、見る目がお互い変わっていきますよね

そうですね。今の時期、お互いの関係や距離感を測りあっている微妙な時期かもしれません。

>私たち家族はアメリカにくる前の1990−95年の間、千葉の市原市で過ごしました

そうですか。意外な御縁がありますね。千葉は基本的に温暖ですが、この日は強烈な雪に見舞われました。思いで深い日ではありますが。
Posted by 三四郎 at 2013年01月16日 23:49
M&Mさん、こんばんは。

ありがとうございます。いろいろ議論はありますが、20歳というのはなかなか考えられた節目だなと思います。昔は15歳で元服と称しましたが、今の時代はいかにも幼い。0.7掛の時代と言われますから、20歳でほぼ辻褄が合うのですが。

>子供がいくつになっても、親は親で心配の種はつきませんが、晴れて成人する息子さんを見送られる姿に共感いたしました

ありがとうございます。子供の成長を無事に見送られることが親の一番の幸せかもしれませんね。

Posted by 三四郎 at 2013年01月16日 23:53
ソロさん、こんばんは。そしてありがとうございます。

成人式はやはり日本が誇り得る儀式だと思います。何より自覚を持たせるきっかけになります。

>民族の特徴である成人の通過儀礼を曖昧化するのも、WGIPのベクトルのなせる業だと感じますね

日本人の自覚と誇りを取り戻す教育改革を安倍さんには望みます。
Posted by 三四郎 at 2013年01月16日 23:55
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