2015年01月18日

一線を越えた

フランスの週刊紙への銃撃テロの後、件の週刊紙シャルリエブドは最新号でムハンマドを大きく描き、世界各地のイスラム教徒の反感を買っているようだ。アフリカでは大規模な抗議デモに加え、キリスト教教会やフランス文化センターが襲撃され死傷者を出す事態になっているらしい(読売電子版)。

>AP通信によると、アルジェリアの首都アルジェで16日、仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」が特別号の表紙にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことに抗議するデモがあった
>金曜礼拝を終えた約1000人が街の中心部に集まり、「私はシャルリーではない。私はムハンマドだ」と叫んだ。欧州では「私はシャルリー」が、シャルリー・エブドへの連帯を示す合言葉になっている
>AFP通信によると、アフリカのニジェール南部ジンデルで16日、「シャルリー・エブド」特別号に抗議する数千人規模のデモがあり、キリスト教の3教会とフランス文化センターが襲撃された。少なくとも4人が死亡、45人が負傷した


メディアへの銃撃テロが擁護される余地のない殺人という犯罪であることに変わりはない。言論の自由もまた民主国家の基盤をなすものだ。そういう前提のもとに言うのだが、シャルリエブドは一線を越えてしまっていると俺は思う。

シャルリエブドが批判しようとしていたのは何か、仏語を解せずその内容も分からぬ俺には知る由もないが、革命を起こしてまで民主主義を勝ち取ったフランスである、ある宗教や信仰、思想信条を否定しようとしたとは考えにくい。その対象はおそらくは独裁と混迷が交互するイスラム国家やイスラム過激派、テロリストたちであって少なくともイスラム教やムハンマドそのものではなかろう。

そう考えれば、批判対象としてロリストやその指導者、支援者を取り上げれば済むことだ。アラーやムハンマドの偶像化そのものがイスラム最大のタブーとされていることを承知で、ムハンマドの風刺画を描く行為は、俺には侮辱からの挑発としか感じられない。

この件ではローマ法王がコメントを出している(産経電子版)

ローマ法王フランシスコは15日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載するなどしたフランス週刊紙シャルリエブドの銃撃事件をめぐり、「他者の信仰をもてあそんではならない」と述べ、表現の自由にも一定の限度があるとの考えを示した。AP通信などが伝えた
>スリランカからフィリピンに向かう機中で語った
>法王は、表現の自由は市民の基本的な権利であると強調。神の名によって人を殺害するのは常軌を逸しており、決して正当化できないと述べた
>その一方で、宗教をからかう者は挑発者だと指摘。他者の信仰を侮辱したり、からかったりしてはならないと語った


このコメントから俺は、健全な常識に基づく正常な判断力という、宗教の枠を超え神なる存在から人間に授けられた叡智を感じる。フランスは基本的にカトリックの国だろう。法王のこの言葉をどう受け止めるのか。

議会で「ラ・マルセイエーズ」を斉唱し「戦争だ」と叫ぶのも勝手だが、一度頭を冷やして胸に手を当てて考えるのも必要ではないか。
posted by 三四郎 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(4) | TrackBack(1) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
気風のある語り口で感心しました。どうもマスメディアは「表現の自由」の解釈に劣等感でも持っているかのような対応になってしまっていると感じておりまして。本心を述べるのも「表現の自由」なのに未だにフランスに対しては遠慮があるというか、もしかしたら劣等感があるのだろうかなんて感じていました。

リベラル信仰インテリにはインテリの逃げ口上があるのかも知れませんが、その実、この問題は対立が深刻であると考えれば考えるほど、冷静な対応が望まれていたように考えているんですよね。将来的なことを考慮しても発信すべき意志は発信していくべきだと思うんですよね。

実際問題としても、騒動が鎮静化してくれるように眺めているとも言えますし。
Posted by メロンぱんち at 2015年01月18日 14:56
このローマ法王のコメントは、宗教を主宰するモノとして極めて妥当で客観的見地に立ったコメントであると思いますね。 「言論の自由」がゆるされるのなら、「思想信条の自由」もあってよいし、国教でもない限り「信教の自由」も、人間の基本的人権の一つとして認めるべきであろう。

フランスマスコミが先導する「表現の自由」が、一方で「信教の自由」脅かす結果に成って居ないか、と云う冷静な反省は、ローマ法王以外できていないように感じますね。

異教の信仰者に処するとしたら、「敬して、近寄らず」と云う態度を一貫するべきで、決して、彼らの教祖を揶揄する等、彼らを心情的に貶め且つ挑発するに至っては、異教間の軋轢を助長し、白人文明は、現代に至っても中世代までに、欧州全土で行った、数多の異教徒、若しくは異宗派教徒殺害や弾圧をなんら反省していない、つまりは歴史に全く学べていないと云うザマが明らかになる。 然も、真実を客観的に伝える事で大衆の知性を渙発し、無用な戦争を避ける手段として機能するべきマスコミが、その扇動を自らやっているのでは、マスコミが示す「知性」も中世波である事になるダロウ。 そのうち、魔女狩りが始まる惧れさえある。

事の発端は、寧ろ、ムハンマドを漫画で揶揄した側にあると云える。 ムスリム側は、其の作者に対し、警告を何回もしていると云うから、襲撃される可能性は十二分に覚悟していたであろう。  とは言え、治安を護る事を使命としているパリ警察が、暴力行為で大量殺人を犯した集団を制圧する事まで非難する気はさらさらない。

 問題はその後なのだ。

「為政者やマスコミは、紛争を拡大する方向に、国民をリードするべきではない」事は、何時の時代でも大抵正しい選択である。 その先に待っているのは、「正義の曖昧化〜消失」である事は人類がこれまでに幾度も経験して居る音だからだ。 全体主義や国粋主義が、歴史上で責められているのは、そうした事態に歯止めをかける機能が無いからだろう。

日本のマスコミは今こそ、欧州の宗教に名を借りた歪んだナショナリズムを批判するべきなのだが、ドゥやらそんな知性は持ち合わせていないらしい。
Posted by ナポレオン・ソロ at 2015年01月20日 13:22
メロンぱんちさん、こんばんは。

海外メディアのことはよくわかりませんが、日本のマスコミはほとんど音なしですね。テロはテロ、しかしフランスの報道姿勢にも問題はなかったのか、せめて提起くらいはしてもよさそうなのに。ひたすら「通り過ぎるのを待つ」だけのようです。
Posted by 三四郎 at 2015年01月23日 18:29
ソロさん、こんばんは。

言いやすい相手にしか言わない、報道しない自由もある、それが日本のマスコミの基本スタンスのようです。タブーに触れて論戦するだけの知性も勇気もないのでしょうね。それでメディアでございますといえるのだから、いい商売です。
Posted by 三四郎 at 2015年01月23日 18:32
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Excerpt: 「自由や民主主義の価値を守ろう」。フランス週刊紙「シャルリー
Weblog: ネット社会、その光と影を追うー
Tracked: 2015-01-18 22:01