2016年01月10日

新聞に軽減税率は無用

消費税の再増税にあたって食料品など生活必需品への軽減税率導入がほぼ決まっている。しかし驚くべきことに新聞もこの適用範囲に入るらしいのだ(@niftyニュース/NEWSポストセブン)

>2017年4月に消費税が10%へと引き上げられる際、「新聞」にかけられる税率が8%に据え置かれる方針が決まった。これを受けて新聞社の業界団体である日本新聞協会は、白石興二郎・会長(読売新聞グループ本社社長)の談話を発表した
>〈新聞は報道・言論によって民主主義を支えるとともに、国民に知識、教養を広く伝える役割を果たしている。与党合意は、公共財としての新聞の役割を認めたものであり、評価したいこの措置に応え、民主主義、文化の発展のために今後も責務を果たしていく〉(昨年12月16日付。一部抜粋)
>民主主義と文化の発展は、実に喜ばしい話である。だが、この決定が意味するのはその真逆ではないか
>軽減対象となったことに狂喜乱舞する日本の新聞は、ジャーナリズムと活字文化の担い手であることを自ら放棄したに等しい。新聞は徴税者がちらつかせた果実に自ら飛びついたのだ──
>昨年12月16日に決定された与党税制改正大綱に、〈定期購読契約が締結された週2回以上発行される新聞〉への軽減税率の適用が盛り込まれた
>分かりにくい定義だが、「宅配される新聞の税率は低くて済むが、駅やコンビニでの販売分(即売分)は同じ商品でも10%課税となる」という意味だ
>何とも不思議な文言となった背景を大手紙政治部記者が解説する
>「要は、何とかして新聞社の中心的利益だけを守るための妥協案です。朝日系列の日刊スポーツや毎日系列のスポーツニッポンなどのスポーツ紙は、売り上げの30%以上を即売が占めているので増税による打撃は避けられない
>また、将来的に拡大させていくことが必須の電子版(インターネット版)も適用から外れた。身内を切り捨てておいて、『評価する』というのは理解しがたい。“即売や電子版は活字文化ではない”と言っているようにも聞こえる
>軽減税率論議を巡っては、これまで新聞業界が軽減税率適用を求めてなりふり構わず政界に要請をかけてきた経緯がある
>「大手紙の幹部たちは昨年夏から秋にかけて、会合に官邸幹部らを招き、『(軽減税率導入に消極的な)財務省と新聞業界のどちらを選ぶのか』と極めて直接的なはたらきかけをしていたとの情報があります
>また、財務省が軽減税率の代替案として低所得者に還付する案を検討していることが明らかになった時は、読売を中心に紙面で猛批判キャンペーンを展開した。自分たちを対象にしてもらわないと困るという意図を隠そうともしなかった」(同前)
>そうした動きの末に、駅売りや電子版を切り捨ててまで「8%維持」を獲得した大新聞は、その「特別で独占的な恩恵」と引き換えに、政治を正面切って批判できなくなるのではないかと心配になる


まず思うのは、新聞は公共財なのかという疑問である。

公共財というからには、万人とは言わずとも多くの人にとって「なくてはならないもの」であり、その意味において普遍的な価値を有するものでなければなるまい。

しかるに現実はどうか。

成程ネットは愚かTVやラジオさえなかった時代には、一般大衆の情報源として欠かすことのできない媒体であったに違いない。TVやラジオが普及しても、その記録性において優れたメディアとして相応の価値を有し続けてきたことは認めよう。

しかし今日、インターネットが普及し誰でも通信社の情報はもちろん、政府や企業などの組織が発信する情報にアクセスできる。そればかりか自ら取材し、或は考察して情報の発信者となることも容易だ。しかも電子情報は記録性や取り扱いの柔軟さにおいて新聞をはるかに凌駕している。

このような時代にあってなお、新聞が情報源として必須の媒体と言えるのか。民主主義・文化の担い手という性格も新聞の独占権ではない。もとよりTV、雑誌、書籍もある。加えてネットがある。この点でも新聞が特別扱いされねばならない理由はない。

そしてもっとも疑問に思うのが、中立性、公平性に欠けた報道姿勢である。自ら信奉する主義主張のもとに書きたいこと、伝えたいことだけを恣意的に選別して伝えることのどこに「必須の情報源」としての価値があろうか。その論調に賛同する者にしか価値がないものを公共財とは呼べない。これは右も左もない。

加えて引用記事にも示されているその矛盾に満ちた姿勢である。定期購読を守るために電子版や即売分には目をつぶるなど、情報入手方法が多様化する今日にあってもはや奇怪至極としか言いようのない姿勢である。

そもそも政界工作を行い政権と妥協しながらどうして報道の信念、良心を貫けるのか。考えるほどに自己矛盾であると言うしかなく、いかに日本のメディアが堕落しているかを示している。これもまた「語るに落ちた」というべきか。
posted by 三四郎 at 18:45| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 政府と言うより、自民党のマスコミへの及び腰しか目に入ってこないのは、彼ら議員が、地元紙で叩かれるデメリットを心底怖れているからだろう。

 確かに新聞は、長い間、社会の公器たりえたが、昨今の有様でh、とても国民の負託にこたえる働きをしているとは言えないし、其の数々の偏向的な発言・行動、イカサマなやり方が露見して信用も失っている。 理由を訊けば、「新聞も売れてナンボですからね」と、木で鼻を括ったような答えが返って来る。

 多くが情弱の立場にある国民を舐めているとしか思えない。 公的な義務を忘れ、自説に拘泥して、偏向・虚偽・宣伝を行うモノが、何で公器足り得ようか?

 彼らに阿る議員がいるのならぜひ名前を公表してもらいたい。 然もなくば、総務省全体の良識が疑われる事になるだろう。
Posted by ナポレオン・ソロ at 2016年01月11日 12:45
ソロさん、こんばんは。

>多くが情弱の立場にある国民を舐めているとしか思えない。 公的な義務を忘れ、自説に拘泥して、偏向・虚偽・宣伝を行うモノが、何で公器足り得ようか

実に同感です。マスコミの上から目線の物言いにもうんざりします。特に朝日新聞のように堂々とデマを書き散らして恥じないメディアがつぶれない社会は、やはりどこか病んでいます。
Posted by 三四郎 at 2016年01月11日 18:49
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