2016年04月01日

一里塚の日

ナイトパネルのアラーム音で目が覚めた。F市駅前のビジネスホテル。夕べ出張先の同僚と遅くまで飲んだ名残りで重い体を起こす。

平成28年4月1日。

ぼんやりと日付を見つめてあることを思い出した。今日は社会人となった次男が初出勤する日だ。遠く離れて何も言葉をかけてやれないことに少しもどかしさを感じ、少し考えてメールを送ることにした。

といって普段会話が多いわけで無し、あまり改まったメールを送っても次男も戸惑うだけだろう。返事だって期待できない。ただ今の親としての気持ちだけ送ることにしてスマホを手に取った。

『初出勤だね。緊張するだろうけど、まず頑張ってきなさい。いつも応援しているから』

「まぁ、こんなとこか」とひとりで頷きながら送信ボタンを押し、顔を洗いにバスルームに入った。

平成5年の秋のある日、残業の後で帰宅したときはもう夜の11時を回っていた。そのころ私は千葉県某市のアパートで妻と1歳の長男と暮らしていた。妻は二人目の子を妊娠し臨月を迎えていたが、今日明日という状態ではなかったから、帰宅した部屋が真っ暗だったことに違和感と胸騒ぎを覚えた。

『生まれそうなので病院にいってきます』

簡単なメモ1枚だけがテーブルの上にあった。急いで車に乗り病院に駆け付けた。もう日付が変わっていた。

既に次男は無事生まれていた。長男の時は13時間に及ぶ難産だったが、今回はあっという間だったらしい。無事の誕生を喜びつつも、どこかあっけらかんとした空気が妻にも私にもあったのを覚えている。

よく下の子は要領がいいというが、次男もそういうところはあった。年子の兄はそこそこ勉強もできてそれなりに友達から一目置かれたところがあったが、次男はそういう兄と張り合うでもなく、しかし兄の「権威」「犠牲」をちゃっかり利用するところがあった。

何かにつけて長男の言動を観察し、その後を追うように行動したので大きな失敗はしなかった。次男はよく泣く子だったが、親として強く叱った記憶はない。それが長男には気に入らなかったのかもしれない。二人が幼いころから長男は次男にきつく当たった。

しかし何かにつけうまくできる長男に、次男はコンプレックスを持っていたかもしれない。小学校、中学校と二人には書道と剣道を習わせた。長男は書道五段、剣道初段までとった。次男はなかなかそれに及ばなかった。

特に闘争心や対抗心が弱く、よく言えば優しい性格のためか、剣道はなかなか上達せず、道場の先生から「見込みがない」とあからさまに言われ、先輩からは随分といじめられた。

中学二年の夏だったか、剣道の昇格試験があった。翌年は高校受験に集中しなければならないし、その後はおそらく剣道を続けないだろうと思い、乗り気でない本人を促して一級試験に臨ませた。「剣道をやった証くらい持っておけ」、というわけだ。

防具をつけるのもぎごちなく、型も試合も頼りなげだった。ひととおり終わった後「おれはもうダメだよ」といって、哀れなほどにしょげかえっていた。

しかし結果は合格。手の平を返したような喜色満面の顔を今も覚えている。

高校は妻が「いじめが少ないから」といって都内の某私立高校に進んだ。このころ私は子会社出向になっており、仕事も忙しくほとんど構ってやれなかった。

確かに陰湿ないじめはなかったが、別のことで悩んでいたらしい。学力別のクラス分けがあり、簡単に言えば三段階の学力別編成なのだが、次男はNo2、No3、No1と毎学年違うクラスに入れられた。

三年生でNo1になったのなら喜ぶべきことのはずだが、たまたま選別判定の対象になった試験の点数が良かっただけで、本人的には実力とは思っていなかったらしい。そういう不安や引け目もあったのだろう、三年生ではほとんど友人らしい友人もできなかったという。

特にやりたいこともなかったのか、漠然と文系コースを択んでいたが、大学受験は希望大学のどれにも受からず、結局、某私大の理工学部と別の私大の経済学部の2つだけに受かった。文系を択んだが特に好きなわけでもなく、多少はレベルの高い方の大学で頑張ってみるということで理工学部の都市工学系に進むことにした。

妻は次男の性格に今一つ頼りなさを感じたのか、将来につながる資格をとっておけと教職課程を強く勧めた。私はただでさえ理工系は忙しいのに教職までは無理なんじゃないか、といったが次男は何か思うところがあったのか教職課程を取った。

しかし4年間の大学生活は次男にとって濃厚で充実したものだったようだ。サークルではスキー部に入った。私は「学費は出すがサークルは遊びだ。スキー道具や旅費は自分で稼げ」といって突き放した。次男は自らバイト先を探し、あるコーヒーチェーン店に決めてきた。

週に2、3日バイトし、冬休みはスキーの練習を兼ねてスキー場の民宿に住み込み、その手伝いや周辺の居酒屋でもバイトをしながら二年目の冬にスキー指導員二級の資格を取った。

3年になると専門科目も増えゼミも忙しく、大学や近くに下宿する友達の家によく外泊した。教職の単位も確保しなければならず、休日など朝から夕方まで寝入っていたことも多かった。どこまで続くのか、いつか体を壊すか心が折れるかするんじゃないかと心配したが、気づいたら4年生になっていた。

就活の後ろ倒しによって学生や企業が混乱する中、次男は自分と世間を落ち着いて見るようになっていた。

次男が大学生になった平成24年、政権交代によって世の中の雰囲気が変わり、景気は少しづつ上向いていった。震災復興需要や東京五輪開催決定もあり、次男が学ぶ都市工学系にも明るさが蘇り、就活も売り手市場に傾いていた。

そんな中で次男は「練習のため」といって大手警備会社やメーカー系列会社を訪問したり一次面接に出向いた。中堅の土木設計事務所にインターンシップとして参加もしたが、結局自ら選んだのはある都市インフラ設備のメーカーだった。その業界はかなり寡占状態で、隠れた安定企業という評判もある。いつしかそんな情報分析もしていたらしい。

「知らない間に大人になった」― それなりに子供を見つめていたつもりだったが、人というものの内面は計り知れない速さと深さで変化するものらしい。親として頼もしくもあり寂しくもある。

顔を洗って寝ぼけた頭もいくらか冴えてきた。着替えを済ませホテルをチェックアウトする。駅に向かい歩き始めたら上着のポケットに入れたスマホが震えた。次男からメールが来ていた。

『ありがとう。行ってきます』

曇り空ながら風は暖かい。そういえばニュースでは東京の桜が満開だといっていた。
posted by 三四郎 at 19:34| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 親の務めが、「子供を一人前の大人にする事」ならば、三四郎さんは、親としての最後のマイルストーンを越したのかもしれませんね。

 私には幸か不幸か、子供は出来ませんでしたが、子供は好きで、教育にも関心があります。 剣道は中1から高専3年まで6年やって3段ですが、中学時代のチームメイトは、警察官でも教師でもないのに7段が2人、8段が1人で、故郷に帰ると「練習に来い」と、未だに電話が懸ってきますww 脳梗塞をやっちゃったので、モゥ無理ですが、剣道で教わった事は、未だに「心の芯」になって居ます。

 ですから、次男の方に「剣道に向いてない」なんて決め付けには、著しく反発を感じますね。 ですが、縁が無かったと思えば、良いのかもしれません。

 受けた感じから言えば、文系に落ちたのも正解、教職の途を遺したのも正解ですね。

 組織の中で、余り先頭に立って人を引っ張るよりも、冷静な立場で助言、サポートをする立場の方が、向いているんじゃないかと思います。 勿論、当事者になって切羽詰まらないと本当の力が出ない場合も多いですが、アプローチ段階は、脇役、陰の支え役の方が良いカモです。

 良い親父さんですね。 「問題の無い家庭ってない」そうですが、三四郎さん処は、例外かな?

Posted by ナポレオン・ソロ at 2016年04月01日 22:03
ソロさん、おはようございます。

剣道について言えば、次男にとり仮にも一級まで取れたことは、やりぬくことの大切さを学ぶ最初の機会だったように思います。

>余り先頭に立って人を引っ張るよりも、冷静な立場で助言、サポートをする立場の方が、向いているんじゃないかと思います

私もそう思っています。教育実習で自分の母校の中学校に半月ほど行っていましたが、話しやすい雰囲気なのか、よく相談ごとを受けていたようです。

>文系に落ちたのも正解、教職の途を遺したのも正解ですね

本当に結果オーライという感じです。

>「問題の無い家庭ってない」そうですが、三四郎さん処は、例外かな?

小さな問題や悩みはそれなりにありますが、長い目で見ると大したことはないな、というのが私の感覚です。夫婦で感じ方は違うので、それでよく喧嘩しますが。

何より子供が道を外れずに育ってくれたことだけで十分です。
Posted by 三四郎 at 2016年04月02日 09:04
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