2016年10月16日

薄っぺらい釈明

過日、作家の瀬戸内寂聴氏が死刑廃止の立場から存続論者を「ばか」呼ばわりしたことを批判する記事を書いた(拙記事:「想像力の欠如」)

その瀬戸内氏が発言について釈明しているというニュースがあった(@niftyニュース/読売)

>死刑制度に反対する作家の瀬戸内寂聴さん(94)は15日、京都市内で開かれたトークライブに出演し、日本弁護士連合会のシンポジウムに「殺したがるばかどもと戦ってください」と呼びかけるビデオメッセージを寄せた件について、「被害を受けた人をばかにしたと受け取られたが、全くの誤解。(死刑制度を容認する)世の中に対するものだった」と釈明
>「誤解されたのは、私の至らなさのせい。仏教者が『ばか』なんて言葉を使うべきではなかった」などと述べた


一見、謝罪を込めた釈明のようだが、「死刑支持者」という自らに反対する意見を持つグループを「世の中」と称し、これを「ばか呼ばわり」したことは認めておりそれに対する反省はしていない。誠に薄っぺらい釈明である。

重箱の隅をつつくような意見で申し訳ないが、こういうレベルの認識しか持てない人物を公の場に出すことは、死刑廃止論の薄っぺらさを晒すばかりで良いことはないのではないか、と老婆心ながら思う。
posted by 三四郎 at 13:06| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>>「被害を受けた人をばかにしたと受け取られたが、全くの誤解。(死刑制度を容認する)世の中に対するものだった」と釈明
否、被害者の遺族が、犯人の死刑を望んでいる事はこの問題の前提の筈、其処を、「馬鹿共」と罵ったのは事実なのだから、余りに潔くない話で、「罵倒」の罪に「吐嘘」の罪を重ねているだけにしか見えないから、釈明には程遠い。 この婆さんが、今更聖人ぶった処で、戦後社会に彼女が流した罪悪奨励的な、作品群の悪影響が薄まるわけもない。

 自分でまいた種を刈り取ることも出来ない上、この世に係累の無い身で、被害者家族の身になって考えるなど出来る筈がない。 仏の道から何かを云うつもりであれば、被害者家族に直接会って、その話を十二分に聞いたうえで、修行智により、家族を執着から解き放つところから始めなければ、修行の意味も無い。 身の謙虚ささえ感じられ無いのでは、仏の御弟子を自称する事も止めて頂きたい位である。
Posted by ナポレオン・ソロ at 2016年10月17日 13:10
ソロさん、こんばんは。

この人ほど「仏の道」にふさわしくないと感じる人も珍しいと思います。何か、妄執とか煩悩の権化のように思います。

>仏の御弟子を自称する事も止めて頂きたい

偽らざるところですね。
Posted by 三四郎 at 2016年10月23日 19:02
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瀬戸内寂聴氏が死刑制度に関する発言を謝罪
Excerpt: やっぱり、発言としては不穏当だと思いますね。
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Tracked: 2016-10-17 06:11