2016年12月03日

日本人お断りで

カジノ合法化法案が成立する見込みだ。この法案、経済振興策としての価値がある一方でギャンブル依存症を増やしかねないという危惧も根深く持たれている。与党内も一枚岩ではなく、公明党内には反対論者も多い。

俺もこの点は同じ懸念を有している。もともと日本にはパチンコというあまりに身近に浸透したギャンブルが存在している。パチンコはかつては駅前の一等地に見るくらいだったが、この頃では住宅街にも駐車場付きの広大な土地を占有して店を構え、車による集客力もあって盛況ぶりを見せつけている。

その一方でこの安易なギャンブルにのめり込み、遊興費欲しさに犯罪に手を染め、あるいはそこに至らずとも借金苦に陥る人は多い。休日に開店前のパチンコ店で行列を作る人々を見ていると、どれだけの人々がそれを意識しているのだろうかと「余計なお世話」と知りつつも暗澹たる思いに囚われる。

パチンコにしてこれであれば、「合法カジノ」ともなれば興味本位から齧りだしてずるずるとのめり込み、ついに人生を棒に振るような人々が増えるであろうと想像するのは実に自然かつ容易なことだ。

俺はパチンコさえ非合法化すべきだと思っているが、もし経済振興優先でカジノを推進するというなら外国人限定とし、入店に当たってはパスポートチェックを行うことにしたらよかろうと思う。

滅多にこれない外国人には非日常の感覚のもと思う存分遊んで外貨を落としていってもらいつつ、日本国民の利用は禁止し、貴重な時間と財産何より心身の健康を保持させることにするなら賛成だ。
posted by 三四郎 at 13:45| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 日本版カジノを合法化する法案が国会を通過したが、「カジノを国民には非公開、或いは、制限を課すべき」と云う意見に賛成だ。 成程、「博奕は、社会の必要悪」と考える人が多いのは知って居るし、我が身の立場で考えてみても、「博奕」への自信の適性を知るまでは、つまり、経験的な認識を固めるまでは、博奕に対する免疫性形成の上で、必要かもしれないと思う。

 現に、公営で、競馬、競輪、競艇、オートがあらかじめ決められた期間に行なわれていて結構な活況を呈しているし、その世界の周辺で結構な人が職を得ているのも現実だろう。 斯ういう開催型の博奕は、既に社会に定着していて、参加するのは、一部の愛好者に限られている観がある。

 然し、開催型ではない博奕として、非合法とされている筈のパチンコやスロットマシンを備えた、簡易型常設の博奕場は、日本中に既に10000軒以上も開設されている。

 この現状に新たにカジノ場を設けると云う事は、不要と云う意見が有ってもおかしくない。 事実、55%の人が、「反対」している。

 もし、此のカジノ場を容認すると云うのなら、季節の簡易型常設の博奕場に何らかの規制を加え、カジノ特定地へ追いやるか、18歳未満の入場制限を厳しく出来る新たな制度を導入すべきであろう。

 いずれにしても、博奕開催は制限的なモノにしておかねば、反社会的勢力の資金源となり易いのは謂うまでもない事。 近代社会の基本は、労働による生産行動であって、非生産的な博奕「=遊び」ではない事位、世の大人は認識して居るであろうから、若い世代の勤労意欲や耐性を育てる妨害になるモノの設置には、限度が必要である事を賛成して貰いたいものだ。

 為政側も、目先の利益だけに囚われて、カジノによって国民の射幸心を徒に煽る事にはならぬ様、気を付けるべきである。
Posted by ナポレオン・ソロ at 2016年12月05日 10:13
ソロさん、こんばんは。

カジノについては国内主要紙の社説が右から左まで「反対」論調のようですね。

パチンコだけでも個人ばかりか社会全体の生産性を奪う「社会悪」だと私は思います。それに国民を晒すことのリスクヘッジがきちんとなされていない以上、反対も当然だと思います。

>為政側も、目先の利益だけに囚われて、カジノによって国民の射幸心を徒に煽る事にはならぬ様、気を付けるべきである

そこがポイントですね。
Posted by 三四郎 at 2016年12月11日 17:33
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