2016年08月17日

低劣メディア

このところ何かにつけ劣化著しいマスメディアがまたやらかしたようだ。

一時「韓流あげ」でネット民を中心に反感を買い、「いやなら見るな」という態度に出て火に油を注いだ過去を持つフジテレビが、海外の「間違った日本」を調査するバラエティ番組で台湾の人を嘲笑するシーンがあったらしい(@niftyニュース/RecordChina)

>2016年8月16日、台湾・聯合報によると、日本のテレビ局が台湾を嘲笑する内容を放送した問題で、テレビ局側が謝罪した
>先日放送されたフジテレビのバラエティー番組「やっちまったtv」では、「間違い日本を徹底調査!台湾で捕獲パチモンGO」と題して、台湾で使用されている間違った日本語などを紹介し、出演者がそれを笑っていた
>その中の、彰化県の生がきを使ったかき氷を紹介する部分では、店頭に「かき氷」と書かれた紙が貼られている様子を映し、出演者からは「ばかじゃないの?」というコメントが出ていたが、実際にはこの紙は日本の制作側が貼ったものだということが発覚。同かき氷店の荘さんは後にその意味を知って怒りを覚えたと語った
>荘さんは11日、SNSで「やっちまったtv」のプロデューサーから送られてきた謝罪文を公開。謝罪文には取材への協力に対する感謝とともに、「番組はただ間違った日本語の看板を取り上げたもので、台湾を否定する意図はなかったが、番組によって台湾の人々の感情を傷つけてしまったことを申し訳なく思う。今後は番組制作に気をつける」などと記されていたという
>しかし、荘さんは個別の謝罪には納得しておらず、「日本のネットでも『日台感情を傷つけた』という批判があったと聞いている」とし、もはや自身が謝罪を受け入れるか否かという問題ではないとの考えを示している


これは悪意的な「やらせ」以外の何物でもなかろう。「やらせ」は言ってみれば「捏造」である。国内でもこんなことは許されることじゃない。しかも外国を取り上げた番組であり一つ間違えば国際問題になる。意図的な捏造報道が国家国民相互の抜きがたい不信に繋がり、大きく国益を損ねることは朝日新聞の「従軍慰安婦報道」を思い起こせば十分だろう。

海外における「間違い日本」を調査検証すること自体が悪いのではない。行き過ぎた商業主義や政治的プロパガンダなど、動機・目的が何であれメディアとしてウソ・捏造は許されないということだ。こんなことは子供でも分かる。どちらが「やっちまったtv」だか。シャレにもならない。

こんな愚にもつかない「間違い」を取り上げるよりも、韓国や中国に行って「慰安婦像」や「南京大虐殺」に含まれる大間違いを追及することこそメディアたるものの務めではないか。やはり「小悪(でさえないが)には強く巨悪には弱い日本メディアの伝統なのか。

こんなメディアは要らない。さっさと廃業させるべきだ。
posted by 三四郎 at 09:57| 千葉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

的外れはどちらか

相模原市の障碍者施設で起きた前代未聞の大量殺人事件。この事件の分析や考察はこれからいろいろとなされるはずだが、気になる関連トピックがある。中国出身の評論家、石平氏のツイートに「批判が殺到」しているというのだ(J-CASTニュース)

>男一人の凶行を、「警備員や職員さんたちは途中で食い止めることができないのか」――。神奈川県相模原市の障害者施設で起きた入居者殺傷事件を受け、評論家の石平(せき・へい)氏が投稿した「施設の防犯体制」をめぐるツイートが物議を醸している
中略
>こうした事件をめぐり、中国出身で拓殖大学客員教授の石平氏(ツイッターの名義は「石平太郎」)は26日朝に更新したツイッターに、
>「男一人が次から次へと39人に凶行を及ぼしたのに、警備員や職員さんたちはそれを途中で食い止めることができないのか
>と綴った。施設職員の防犯対応を批判しているように受け取れるこの投稿は、ネット上で激しい批判を呼ぶことになった。石平氏の投稿に対しても「簡単に批判的意見を述べられるのは不愉快」「職員を批判するような事はやめてください」などと批判的なリプライ(返信)が殺到した。
>だが、石平氏は寄せられた批判に対して「疑問を呈しただけ」「批判は的外れ」などと反論。続くツイートでは、「障害者は自分自身を守りきれない弱者だから、施設は当然、彼らを守る義務がある」と持論を展開。その上で、
「あんな悲惨な事件が起きたから、施設の防犯体制に疑問を呈するのはむしろ当然。私の聞き方は悪かったかもしれないが、疑問1つも許さないのは良くないと思う」
>と重ねて主張し、自説を曲げなかった。
>介護施設は「警備どころではない」
>このように石平氏は自身の投稿を「問題提起をしただけ」との主張を繰り返しているが、ネット上では「論点をすり替えている」といった批判が止まない。ツイッターやネット掲示板には、
「あんな書き方されたら議論も何もないよね。あの疑問を投げかける時点でナンセンス」
「なんで警備問題に歪曲してんだろう?」
「〜はできないのかって常識的に考えて批判的意味合いを含んだ問題提起だろう」

といった投稿が相次いで寄せられている。
>さらには、障害者施設などの職員とみられるユーザーからも「実態を全く理解していない」との異論が続々と上がっている。その多くは、手薄な深夜の勤務体制や警備体制などについて、自らの労働環境を引き合いに訴える声だ。
>「私は老人福祉施設に勤めてますが、夜勤1人に対して入居者30人弱を見てるんです。バラバラにあちこち居る状況じゃ、守ろうと思っても無理です」
「施設の夜勤はヘタしたら女性職員2人くらいの場合もあるから」
>こうした指摘を受け、石平氏は「施設の大変な状況がよく分かった」と投稿。だが、その上で、
「それでもわれわれの社会は問わなければならない。施設の防犯体制に問題はなかったのかだ」
>と繰り返した。だがこの投稿にも、「介護施設なんてどこも資金や人もぎりぎりなのに警備どころではない」「ちょっと無知すぎるのではないですか」と手厳しい返答が寄せられている。
>26日夕、石平氏は「私の呈した疑問は『批判』との誤解を生んだことには素直にお詫びしたい。申し訳ございませんでした」と謝罪。だが、「疑問を呈したこと自体は間違っていないと思う」とも綴っていた


まず石氏の批判のどこが間違っているのか、俺には全く分からない。

成程、石氏は介護業界の実態には「無知」かもしれない。しかし業界事情などその筋の人間でなければ基本的に疎いのは当たり前だ。むしろ一般人として第三者的な立場で疑問を呈することは当然で、それさえ「不愉快」「無知」と極めつけることはある種の言論弾圧ではないか。

どうもリツイートの多くはその業界の人々かアンチ石氏によるものなのではないかと感じる。

そもそも当たり前の警備さえままならぬ事情を「反論」と言う形で開陳できるのも、石氏の問題提起があったればこそではないか。業界筋の人々がすべきは石氏のような批判を封じることではなく謙虚に受け止め、その上で劣悪な労働環境等を論理的に訴えればよい。そうしてこそ、安全・安心も確保されていくだろうし労働環境も改善される。

この「批判リツイート」のは単なる「的外れ」以上の個人攻撃の意図を感じるし、そうでなければ本当に介護福祉業界の環境改善に資することの無い非建設的な「身内の庇いあい」にしか聞こえない。
posted by 三四郎 at 22:21| 千葉 ☔| Comment(6) | TrackBack(3) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

偏向の証

メディアの間では安倍政権が「言論統制」を強化しているという認識があるようだ。少し長くなるが、著名なフリージャーナリストと大手メディアの元社長による対談を引用する(@nifty/週刊朝日)

参院選でも向うところ敵なしの安倍政権下でメディアへの「言論統制」が強まっている。ジャーナリストの池上彰氏、原寿雄共同通信社元社長が昨今のメディアのへたれぶりを一喝した
>原 日本人記者の根性には「お上の話を承る」という姿勢が昔からある。それが克服できていない
>池上 その傾向は年々強まっています。最近までは権力を持つ側は「メディアに圧力をかけてはいけない」というのが共通認識でした。政治家も、メディアから批判されたからといって、いちいち文句を言ってくることはなかった。「権力は抑制的であるべきだ」と考えられていたからです。だから、たまに権力欲のある政治家がメディアに介入する発言をすると、大騒ぎになった。ところが、安倍政権になってからは、自民党はおもなニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる。すると、テレビ局は「面倒くさい」となる。対応が大変で、次第に「文句を言われない表現にしようか」となってしまうのです
>原 トラブルが面倒になったら、ジャーナリズムは後退しますよ。「この権力野郎!」というぐらいの気持ちで仕事をし、その結晶で報道が生まれるようでないとダメです
池上 ある番組で、安倍首相の映像がテレビで流れている時に、技術的なミスで違う映像が入ってしまったことがありました。すると「安倍政権を貶めようとしている」と言わんばかりに抗議が来るわけです
明らかに技術担当者のスイッチミスで、番組でも訂正と謝罪をしているにもかかわらずです。私が特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から「ご説明を」と資料を持ってやってきた。こういうことが日常的にあるわけです
>原 私の現役時代はあまりなかったですね。覚えているのは編集局長時代、文部大臣自ら来て、私が言い分を聞いて帰ってもらったことぐらい
>池上 第1次安倍政権(06〜07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年〜)になって復活しました
>原 問題はメディア側にある。弱者に強く、強者に弱くなった。自分たちは読者・視聴者のために仕事をしていると思っていれば、政治家や役人、企業などからくる圧力とは断固として戦い、押し返せるものです


そもそも「週刊朝日」上での対談だからこんな認識になるのだろうということはさておき、まず参院選直前にこういうテーマで安倍政権を批判すること自体に意図を感じてしまう。それでも「言うべきことは言う」との立場であればそれは否定しない。

しかし安倍首相の映像に別の無関係な映像が混じったことついて「技術的なミス」で片づける姿勢は意図的な矮小化を感じる。さもなくばジャーナリストとしていささか職業倫理を軽視するもので不用意、軽率の誹りを免れぬのではあるまいか。

メディアの影響力を自認すればこそ、そこは印象操作と受け取られぬようにしなくてはならない。安倍首相についてはこの種の「事故」「ミス」が複数回発生していた記憶がある。ジャーナリストなら襟を正す姿勢が本来であり、正当な抗議を圧力と言うのは傲慢かつ散漫な意見であろう。もし「昨今のジャーナリストは劣化した」という議論なら、まさにこの点において同感である。

それから、第一次・第二次を通し安倍政権下でこの種の抗議が増えたという議論も胡散臭い。「福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった」というが、福田政権や民主党政権はリベラルもどきで主要メディアの意に沿った政策行動をとる政権だったこと、麻生政権はあまりに短命だったことが理由ではないか。何気ないこの発言自体が、メディアは「反安倍」であることの証で語るに落ちている。

大手メディアや著名ジャーナリストが世論をどのように誘導しようとも、現代はネットで様々な情報が同時並行で発信されている。両氏に限らずこの業界の方々には今更ながら、今は「何が本質か」「誰がどんな意図を持っているか」を昔よりも比べ安い時代であることをお忘れなく、とだけ言いたい。
posted by 三四郎 at 10:54| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

洗脳教育

今度の参院選から選挙権が18歳まで引き下げられるわけだが、公教育の場では「中立な選挙教育のありかた」に腐心しているらしい。そんな中、サヨクは民間のシンポジウムという形をとった洗脳教育を着々と進めている(時事電子版)

>選挙権が18歳以上に引き下げられるのを前に、日弁連は18日、若者を対象に憲法についてのシンポジウムを東京都内で開いた。高校生らがパネリストとして参加し、自民党の憲法改正草案などについて議論した
東京大法学部の石川健治教授は講演で、立憲主義の考え方や日本国憲法の制定経緯などについて説明。「現在の国民は過去の国民から、憲法の保障する自由や権利を守るよう信託され、将来の国民に責任を負っている」と話した
>その後、ジャーナリストの堀潤さんが司会を務め、高校生や大学院生、弁護士らが「私たちの目指す未来」をテーマに議論した
>7月の参院選から選挙権を得る高校3年の藤原和さん(18)は、戦争放棄をうたった憲法9条について、「過去の過ちを再び起こさないためにも守るべきだ」と発言。一橋大大学院修士課程1年の安部農さん(23)は、「抑止力として軍事力を持ちたいという気持ちも理解はできる」と話す一方、安易に中国の脅威をあおる風潮には疑問を呈した
>客席から発言した高校1年の男子生徒(15)は、憲法13条の「すべて国民は個人として尊重される」との条文に関し、自民党の改憲草案が「個人として」を「人として」と言い換えたことに触れ、「個人の生き方が尊重されないように感じる」と批判した


主催者といい講演者と言い、護憲主義の立場で安倍政権に批判的な勢力である。語られる内容も、議論の色合いも客席からの意見も、反自民、反改憲的傾向が強い。これでは白紙に近い若者は「安倍政権=悪」という先入観を刷り込まれるのがオチである。

もともとこの種の教育に政治的な完全中立を求めるのは難しい。そうである以上、主催者は若者に対しては明確で分かりやすい立ち位置の明示をしなければフェアではない。

また若者を指導する立場の親や教師は、参加するなら護憲・改憲双方の情報に触れることを前提として勧めなければならない。「教育」「洗脳」「プロパガンダ」を見分ける術、もしくは心構えをこそ、まず第一に若者には教えるべきだろう。
posted by 三四郎 at 09:43| 千葉 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

危機の本質

いわゆる「スノーデン事件」の当事者でロシアに亡命中のエドワード・スノーデン氏が、日本の東大で開かれた「監視の“今”を考える」というシンポジウムにネット参加し、「日本の危機」について語ったという(@nifty ニュース)

アメリカ国家による国民の監視の実態を内部告発し、世界を震撼させたエドワード・スノーデン氏が4日、亡命先のロシアからネット回線を使い、東京大学(本郷キャンパス)で行われたシンポジウム「監視の“今”を考える」に出席した。個人情報の大量収集が市民社会にもたらす影響や、近年の日本政府による情報コントロールの危険性について鋭く語った

中略

>「日本社会の現状をどう見るか」との質問が出ると、同氏は「特定秘密保護法以降、安倍政権の静かな圧力、インセンティブ(見返り)を伴う圧力がメディアにかかり、危機的な状態では? 視聴率のいいニュース番組のアンカーマンが降板させられている」と指摘したうえで、「ジャーナリズムの役割は政府のいい点、悪い点を評価し、いつ権力の逸脱や乱用があったか、国民に知らせることにあって、それがなければ民主主義の議論は成熟しない」と議論を展開した
>インタビューの最後、さらにスノーデン氏は「結局、プライバシーとは、あなたが公開したくないことは公開しなくていい権利、あなた自身である権利だと思う」と切り出し、「無制限の監視ではプライバシーは社会のものになり、人権侵害の問題に行き着く。政府の方針に任せるのでなく、市民が社会の主役となり、監視のリスクを議論すべきです」と力説した
以下略


国権による無制限な個人の監視は許されるべきではない。しかしテロやグローバル化した犯罪が横行する今日、個人情報への不介入によるリスクとのバランスの上に立って、ゼロサムでない建設的な議論はもっとなされなくてはなるまい。

ところで「強権国家、監視国家」という意味ではロシアも相当なもので、そういう国家に身を寄せている自分に矛盾は感じていないのかという疑問はある。ロシアが同氏を米国との政治的駆け引きの道具にしていることに気づいていないはずはないと思うが。

それはさておき、同氏の日本に対する「危機認識」はかなり偏っていると感じた。特に「特定秘密保護法」や「安倍政権」の「圧力」によるニュース番組のアンカーマン降板云々は何やら日本のサヨク陣営の論調そのものであり、このシンポジウムの主催者の政治的スタンスと軌を一にする、つまり都合のいい広告塔のように見える。

特に「インセンティブ(見返り)を伴う圧力」とは具体的には何か。推定するに公平な報道を行わないTV局に対する「免許停止」「停波」といったところではないかと思うが、実際はこれに賛同する国民も少なくない。それはとりもなおさず、国民の目から見ても現在の報道姿勢がいかに偏向しているかを物語っているという証左であろう。

その意味では一点、同氏の意見に「逆説的に同意」できるところがある。それは日本の社会、とりわけメディアが「危機的状況」にあるということだ。

「報道の自由」を標榜する一方で「報道しない自由」を盾にして自らの行動に縛りをかけているのは、多くの日本国民が感じていることだと思う。とりわけ「在日朝鮮・韓国人の犯罪」「ヘイトスピーチの理由」「特定国への批判」についてはネット社会の今日、その偏向姿勢が際立ってきている。

外国人でも自由に「危機的状況」を堂々と「警告」できる日本社会にあって、何が本当の危機なのか、怪しげな政治団体の主張に踊らされず一人の国民として考えたいものだ。
posted by 三四郎 at 09:44| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする