2016年11月25日

民度が知れる

中国のとあるショッピングセンターで安倍首相に似せた蝋人形が話題になったという。件の人形は顔はどう見ても安倍首相で、ご丁寧に「ヒトラー風」の口髭をつけ、何かを謝罪するかの如く深々とお辞儀をしている。この人形、「日本の反発」を受けて撤去されたという(@niftyニュース/Record China)

>2016年11月25日、中国遼寧省瀋陽市に登場した安倍晋三首相のろう人形をめぐり、環球時報は「安倍氏の“謝罪ろう人形”が日本の不満を招いた」と伝える記事を掲載した
>安倍首相のろう人形が設置されたのは瀋陽市内にあるショッピングセンターだ。「九一八(満州事変の中国側呼称)を記念する」という文字を背にした人形は腰を低くしてへり下るポーズを取っており、鼻の下にはひげが付けられていた。これを受け、日本メディアは「独裁者ヒトラーを想像させる口ひげ」「毎年9月18日に同市では満州事変関連の活動が行われ、反日感情は強烈だ」との説明をし、「中国のインターネット上には『恥ずかしい』とのコメントが寄せられている」などと報じた
>ショッピングセンターの関係者によると、この催しを行ったのは同省丹東市の職人で、店側は無料でスペースを貸しただけだという。「作品を展示したい」という申し出に応じた理由は「消費者の店での体験をより豊富にしたいと考えたから」。人形のポーズや口ひげについて同関係者は「装置に不具合が生じて直立させることができなかった」「本人からのクレームを恐れて100%そっくりには仕上がっていない。どの人形もネームプレートは付いておらず、『安倍首相でない』と言うことだってできる」と話しており、「九一八を記念」というプレートの前に置かれたことに関しては「深い意味はなく一時的な措置」と述べた。同関係者は日本側の反応に対するコメントは控えたものの、在瀋陽日本国総領事館のクレームを受けたことや人形がすでに撤去されたことを明らかにしている


表現の自由が許されていない国でこういう露骨なことができるのは、当局公認の政治プロパガンダだからという理由でしかない。

他国が見ればすぐにわかるようなことを堂々とショッピングセンターの催事場という、不特定多数の市民が利用する準公共的なスペースでやらせてしまうところに、この国の民度の低さを感じる。

それにしても関係者とやらの釈明には失笑するしかない。「装置に不具合が生じて直立させることができなかった」に至っては子供の言い訳レベルにもなっていない。

他国の元首を揶揄するならもっと洗練された方法でするべきで、その言い訳も大喜利の答えのように大向こうを唸らせる気の利いた返しを用意してほしいものだ。

四千年の歴史が泣いているぞ。
posted by 三四郎 at 19:11| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

駄メディア

インターネットが普及拡大した今日、比較される在来商業メディアの堕落振りが社会のあらゆる断層で露見している。日本の主要メディアのダメ振りは周知のとおりだが、「お隣」のダメ国家のメディアのダメ振りもなかなかのものである(@niftyニュース/Record China)

>2016年11月23日、長嶺安政駐韓大使は北朝鮮のミサイル発射に関する情報など軍事機密を共有する軍事情報包括保護協定(GSOMIA)に署名するため、韓国ソウルの国防部庁舎を訪れた。環球網が伝えた
韓国の複数の記者がカメラを地面に置いて報道を拒み、抗議の姿勢を示す一幕があった


韓国のような信頼に値しない国家と軍事情報を共有するしくみなど、どんな形であれリスクが大きく俺も反対だ。それにニュースソースが中国系メディアであることからも、韓国人が押しなべてこの協定締結に抗議していることを強調する狙いがあると思われ、割り引いて解釈する必要はある。

それにしても一部とはいえ、斯くも重大なニュースに対し、カメラを置いて敢えて報道を拒否する姿勢に、ジャーナリストとして何か意味があるのだろうか、と理解に苦しむ。

賛成であれ反対であれ、自らの政治的信条はさておき、事実は事実として報道するのが彼らの仕事ではないのか。「報道拒否」は日本の野党がよくやる「審議拒否」と同質で職務怠慢と言われても仕方なく、むしろ彼らが好んで使う「国民の知る権利」を奪うもので自己否定そのものだ。

こうした報道姿勢が史実の捏造や歪曲を生み、後世に憂いを残していく。これで「英雄気どり」ができるならジャーナリストとは結構な道楽である。
posted by 三四郎 at 17:43| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

首都らしいセンス

東京都の小池都知事は予てより「ダサい」と悪評高かった都の観光ボランティアのユニフォームを「躊躇なく変えていきたい」と見なおす方針らしい(朝日電子版)

>東京都の小池百合子知事は18日、2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、外国人観光客を案内している東京都のボランティアの制服を問題視し、「ちゅうちょなく変えていきたい」と述べた。昨年6月のお披露目以降、ネット上で「ダサい」などと否定的な意見が相次いでいた
>制服は、都が若手デザイナーを起用して制作した。都によると、ポロシャツや防寒着など4種類、計3735着がつくられ、昨年6月からボランティアが着用している。制作費用は計約3015万円にのぼる
>小池氏はこの日の定例記者会見で4種類の画像を示しながら、「申し訳ないけど、色もバラバラ。『これを着たいからボランティアになります』という話も聞いていない」とばっさり
>デザイナーのコシノヒロコさんら有識者による「東京ブランドのあり方検討会」を25日に立ち上げ、今後の方向性などを協議する。「より研ぎ澄まして、都民が着たいものにすることが東京のPRになる」と述べた


これは大賛成だ。俺的にこの制服から受けるイメージは「ピエロ」か「コメディアン」しかない。小池知事は色使いがバラバラと言っているが、原色で粗いパターンの配色は半島系の色彩感覚に通じるものがあり日本的とは全く言えない。

既に「制作費3015万円もかけて作った制服を変えるなんて、それこそムダ使い」という意見もあるようだが、このデザインはいわば首都・東京の顔でもある。悪評ばかり目立つものが後4年間も使われたのでは東京のイメージが、いや日本のイメージが著しく損なわれる。都民の税金とは言え、批判的な声が多数ある以上、傷は浅いうちに直すべきだ。

また「都が一度決めたことを勝手に覆すのはワンマン」という声もあるがナンセンスの極みだ。その論法で行けば新知事は前知事以前の時代の決定事項に手を付けることができない。豊洲問題など論外となる。政治・行政の改革を真っ向から否定する愚論である。

願わくば、どうせお金をかけて見直すなら日本の首都らしく、美しく躍動感があって、それでいて古い国ならではの品格を備えたユニフォームにしてほしいものだ。
posted by 三四郎 at 14:31| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

切り取り報道

押しなべてマスゴミは自社の都合により事実を歪めて報道するものだ。捏造は最近あまり聞かないが(表ざたになっていないだけかもしれないが)、事実の歪曲や切り取りは常套的に行われていると感じる。

最近分かりやすいのは沖縄のデモ警備に派遣された大阪府警の警官が「差別発言」をしたとされる件に関するニュースだ。これなどデモ参加者の過激な行動に対する注意というプロセスがあったはずなのに、そこは完全にスルーされ「警察(日本政府)VS沖縄県民」の対立の構図に仕立てられている。

さらにこれに対する松井大阪府知事の発言に対する報道もまた意図的だ(朝日電子版)

>沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事現場に派遣された大阪府警の警察官が差別的な発言をした問題を巡り、ツイッターで「出張ご苦労様」と警察官をねぎらう投稿をした松井一郎知事は21日の府議会で、改めて発言内容を撤回しない考えを示した
>この日の府議会総務常任委員会で密城浩明府議(自民)が「大阪のリーダーとして、言ったらあかんことは言ったらあかんと諭すべきだ」と指摘松井氏は警察官の表現は不適切だとした上で「活動家の皆さんもあまりにも過激な活動をしている」と主張し、「一人を徹底的に社会から抹殺するようなたたき方をするのは違う。現場で一生懸命働いている機動隊に勤務ご苦労様だというのは当然だ」と持論を述べた
>さらに松井氏は、密城氏が事前に通告せずにこの質問をしたとし、「一部の偏った情報しかとらずに一方的な批判をする。議員として失格だ」と批判。委員会は紛糾し、約2時間半にわたって中断した
>府によると、府には21日午後5時までに電話などで1142件の意見がよせられた。「人権を考えない姿勢には賛同できない」という批判が6割で、警察官をねぎらう姿勢に賛同する意見も4割あったという

これ以前の記事においても「土人発言」ばかりが執拗に取り上げられ、そこに至る「市民」側の過激行為、違法行為はほぼ無視されている。「公権VS市民」の構図のもと、デモ参加者を「弱者」とし「正義」に見せかけようとしている感がありありだ。

松井知事の発言にしても、その趣旨を素直に受け止めれば「土人」呼ばわりを擁護も容認もしておらず、きちんと苦言を呈したうえで、行政府の長として現場の労苦に対し労うべきを労ったに過ぎない。このことをニュースにする意図は、あたかも「慰安婦問題」の如く自ら火をつけて県民感情を反政府に向けて煽り立てること以外にないのではないかと勘繰らざるを得ないものがある。

この種の問題には「抗議」「批判」の電話が寄せられるのはよくあることだが、「賛成」と表明するケースは少ないように思う。それが朝日報道でさえ「4割」もあるということは、一連の流れに疑問を持つ一般人はかなりいるということだろう。
posted by 三四郎 at 09:25| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月16日

薄っぺらい釈明

過日、作家の瀬戸内寂聴氏が死刑廃止の立場から存続論者を「ばか」呼ばわりしたことを批判する記事を書いた(拙記事:「想像力の欠如」)

その瀬戸内氏が発言について釈明しているというニュースがあった(@niftyニュース/読売)

>死刑制度に反対する作家の瀬戸内寂聴さん(94)は15日、京都市内で開かれたトークライブに出演し、日本弁護士連合会のシンポジウムに「殺したがるばかどもと戦ってください」と呼びかけるビデオメッセージを寄せた件について、「被害を受けた人をばかにしたと受け取られたが、全くの誤解。(死刑制度を容認する)世の中に対するものだった」と釈明
>「誤解されたのは、私の至らなさのせい。仏教者が『ばか』なんて言葉を使うべきではなかった」などと述べた


一見、謝罪を込めた釈明のようだが、「死刑支持者」という自らに反対する意見を持つグループを「世の中」と称し、これを「ばか呼ばわり」したことは認めておりそれに対する反省はしていない。誠に薄っぺらい釈明である。

重箱の隅をつつくような意見で申し訳ないが、こういうレベルの認識しか持てない人物を公の場に出すことは、死刑廃止論の薄っぺらさを晒すばかりで良いことはないのではないか、と老婆心ながら思う。
posted by 三四郎 at 13:06| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする