2016年11月19日

首都らしいセンス

東京都の小池都知事は予てより「ダサい」と悪評高かった都の観光ボランティアのユニフォームを「躊躇なく変えていきたい」と見なおす方針らしい(朝日電子版)

>東京都の小池百合子知事は18日、2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、外国人観光客を案内している東京都のボランティアの制服を問題視し、「ちゅうちょなく変えていきたい」と述べた。昨年6月のお披露目以降、ネット上で「ダサい」などと否定的な意見が相次いでいた
>制服は、都が若手デザイナーを起用して制作した。都によると、ポロシャツや防寒着など4種類、計3735着がつくられ、昨年6月からボランティアが着用している。制作費用は計約3015万円にのぼる
>小池氏はこの日の定例記者会見で4種類の画像を示しながら、「申し訳ないけど、色もバラバラ。『これを着たいからボランティアになります』という話も聞いていない」とばっさり
>デザイナーのコシノヒロコさんら有識者による「東京ブランドのあり方検討会」を25日に立ち上げ、今後の方向性などを協議する。「より研ぎ澄まして、都民が着たいものにすることが東京のPRになる」と述べた


これは大賛成だ。俺的にこの制服から受けるイメージは「ピエロ」か「コメディアン」しかない。小池知事は色使いがバラバラと言っているが、原色で粗いパターンの配色は半島系の色彩感覚に通じるものがあり日本的とは全く言えない。

既に「制作費3015万円もかけて作った制服を変えるなんて、それこそムダ使い」という意見もあるようだが、このデザインはいわば首都・東京の顔でもある。悪評ばかり目立つものが後4年間も使われたのでは東京のイメージが、いや日本のイメージが著しく損なわれる。都民の税金とは言え、批判的な声が多数ある以上、傷は浅いうちに直すべきだ。

また「都が一度決めたことを勝手に覆すのはワンマン」という声もあるがナンセンスの極みだ。その論法で行けば新知事は前知事以前の時代の決定事項に手を付けることができない。豊洲問題など論外となる。政治・行政の改革を真っ向から否定する愚論である。

願わくば、どうせお金をかけて見直すなら日本の首都らしく、美しく躍動感があって、それでいて古い国ならではの品格を備えたユニフォームにしてほしいものだ。
posted by 三四郎 at 14:31| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

切り取り報道

押しなべてマスゴミは自社の都合により事実を歪めて報道するものだ。捏造は最近あまり聞かないが(表ざたになっていないだけかもしれないが)、事実の歪曲や切り取りは常套的に行われていると感じる。

最近分かりやすいのは沖縄のデモ警備に派遣された大阪府警の警官が「差別発言」をしたとされる件に関するニュースだ。これなどデモ参加者の過激な行動に対する注意というプロセスがあったはずなのに、そこは完全にスルーされ「警察(日本政府)VS沖縄県民」の対立の構図に仕立てられている。

さらにこれに対する松井大阪府知事の発言に対する報道もまた意図的だ(朝日電子版)

>沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事現場に派遣された大阪府警の警察官が差別的な発言をした問題を巡り、ツイッターで「出張ご苦労様」と警察官をねぎらう投稿をした松井一郎知事は21日の府議会で、改めて発言内容を撤回しない考えを示した
>この日の府議会総務常任委員会で密城浩明府議(自民)が「大阪のリーダーとして、言ったらあかんことは言ったらあかんと諭すべきだ」と指摘松井氏は警察官の表現は不適切だとした上で「活動家の皆さんもあまりにも過激な活動をしている」と主張し、「一人を徹底的に社会から抹殺するようなたたき方をするのは違う。現場で一生懸命働いている機動隊に勤務ご苦労様だというのは当然だ」と持論を述べた
>さらに松井氏は、密城氏が事前に通告せずにこの質問をしたとし、「一部の偏った情報しかとらずに一方的な批判をする。議員として失格だ」と批判。委員会は紛糾し、約2時間半にわたって中断した
>府によると、府には21日午後5時までに電話などで1142件の意見がよせられた。「人権を考えない姿勢には賛同できない」という批判が6割で、警察官をねぎらう姿勢に賛同する意見も4割あったという

これ以前の記事においても「土人発言」ばかりが執拗に取り上げられ、そこに至る「市民」側の過激行為、違法行為はほぼ無視されている。「公権VS市民」の構図のもと、デモ参加者を「弱者」とし「正義」に見せかけようとしている感がありありだ。

松井知事の発言にしても、その趣旨を素直に受け止めれば「土人」呼ばわりを擁護も容認もしておらず、きちんと苦言を呈したうえで、行政府の長として現場の労苦に対し労うべきを労ったに過ぎない。このことをニュースにする意図は、あたかも「慰安婦問題」の如く自ら火をつけて県民感情を反政府に向けて煽り立てること以外にないのではないかと勘繰らざるを得ないものがある。

この種の問題には「抗議」「批判」の電話が寄せられるのはよくあることだが、「賛成」と表明するケースは少ないように思う。それが朝日報道でさえ「4割」もあるということは、一連の流れに疑問を持つ一般人はかなりいるということだろう。
posted by 三四郎 at 09:25| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月16日

薄っぺらい釈明

過日、作家の瀬戸内寂聴氏が死刑廃止の立場から存続論者を「ばか」呼ばわりしたことを批判する記事を書いた(拙記事:「想像力の欠如」)

その瀬戸内氏が発言について釈明しているというニュースがあった(@niftyニュース/読売)

>死刑制度に反対する作家の瀬戸内寂聴さん(94)は15日、京都市内で開かれたトークライブに出演し、日本弁護士連合会のシンポジウムに「殺したがるばかどもと戦ってください」と呼びかけるビデオメッセージを寄せた件について、「被害を受けた人をばかにしたと受け取られたが、全くの誤解。(死刑制度を容認する)世の中に対するものだった」と釈明
>「誤解されたのは、私の至らなさのせい。仏教者が『ばか』なんて言葉を使うべきではなかった」などと述べた


一見、謝罪を込めた釈明のようだが、「死刑支持者」という自らに反対する意見を持つグループを「世の中」と称し、これを「ばか呼ばわり」したことは認めておりそれに対する反省はしていない。誠に薄っぺらい釈明である。

重箱の隅をつつくような意見で申し訳ないが、こういうレベルの認識しか持てない人物を公の場に出すことは、死刑廃止論の薄っぺらさを晒すばかりで良いことはないのではないか、と老婆心ながら思う。
posted by 三四郎 at 13:06| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

想像力の欠如

瀬戸内寂聴という左巻きの老害作家がいる。この人物が死刑制度廃止の「人権擁護大会」に寄せたビデオレターでとんでもない発言をしていた(楽天ニュース/産経)

>日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムに、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(94)がビデオメッセージを寄せ、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した。会場には全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士らもおり、「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発した
>日弁連は7日に同市内で開く人権擁護大会で「平成32年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を提出する。この日のシンポジウムでは、国内外の研究者らが死刑の存廃をめぐる国際的潮流について報告。瀬戸内さんのビデオメッセージはプログラムの冒頭と終盤の2回にわたって流された
>この中で瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた
>瀬戸内さんの発言について、あすの会顧問の岡村勲弁護士は「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」と話した


死刑制度には冤罪被害者を巻き込むリスクもあるが、神ならぬ人間の贖罪行為として必要なものだと俺は思う。しかし反対意見を全否定するつもりもない。ただ反対するなら、殺人という人間として最大の犯罪を償い、同時に被害者とその遺族の無念を晴らし人格・人権を救済する制度を提案するべきだ。

その議論はさておき、この人物は僧侶としても作家としても資質を欠いていると言わざるをえない。会場にもいるであろう無念の気持ちを抱いた被害者に全く寄り添わぬばかりか、その意思を忖度しようとさえしていない。恐るべき想像力の欠如である。老い故のことだとすれば老害ここに極まれりである。

死刑存続論者をばか呼ばわりするなら敢えて言わせてもらう。あなたこそ「人権ばか」だ。
posted by 三四郎 at 16:01| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

秋刀魚の先取り

ぐずついた天気が続くが気が付けば9月も下旬、秋本番だ。俺にとり秋の味覚といえば筆頭は秋刀魚だ。焼きたての秋刀魚に大根おろしをこれでもかというほど載せてポン酢でいただく。これに辛口の日本酒があればいうことはない。

しかし最近、秋刀魚が妙に高い。単に気候や海流の影響で不漁なのかと思っていたがどうもそればかりではないようだ(読売電子版)

>秋の味覚、サンマが深刻な不漁に陥っている
昨年の水揚げ量は約40年間で最低水準だったが、今年はさらに減少する見通しだという。海流の影響とともに原因とみられているのが、サンマの回遊ルートにあたる公海上での台湾や中国の漁船による「先取り」。このままでは値段が高止まりし、庶民の味のサンマに手が届きにくくなる心配もあるため、水産庁は中台などと漁船数抑制で合意するなど対策に乗り出している
>東京都文京区の住宅街にある鮮魚店「魚鉄」。冷蔵ケースの中央には氷水につけられた生サンマが並ぶ。23日の店頭での値段は、北海道産が1匹300円(税抜き)、塩焼きは1匹350円で、例年より型が小さく、高めだという(以下略)


何てことだ。俺の楽しみまで中国の連中が邪魔するのか。台湾は友好国だが、秋刀魚となれば話は別だ。

彼らが秋刀魚をどう食するのか、それほどの需要がある魚なのかは知らないが、もし高値のものを日本向けに輸出なんてことがあるとしたら目も当てられない。公海とはいえ厳格なルールを設けこれを守らせねばならない。

まあ中国漁民など拝金主義の塊なのは珊瑚の一件だけでも周知のことだ。「ルールもご意見も無用」とばかり無法操業するやもしれぬ。水産庁の対策は無論必要だが、国柄や民度にも関係するだけに実効性が危ぶまれる。何かいい知恵はないものか。

秋刀魚なき酒は泪か溜息か・・。
posted by 三四郎 at 19:22| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする