2016年07月09日

偏向の証

メディアの間では安倍政権が「言論統制」を強化しているという認識があるようだ。少し長くなるが、著名なフリージャーナリストと大手メディアの元社長による対談を引用する(@nifty/週刊朝日)

参院選でも向うところ敵なしの安倍政権下でメディアへの「言論統制」が強まっている。ジャーナリストの池上彰氏、原寿雄共同通信社元社長が昨今のメディアのへたれぶりを一喝した
>原 日本人記者の根性には「お上の話を承る」という姿勢が昔からある。それが克服できていない
>池上 その傾向は年々強まっています。最近までは権力を持つ側は「メディアに圧力をかけてはいけない」というのが共通認識でした。政治家も、メディアから批判されたからといって、いちいち文句を言ってくることはなかった。「権力は抑制的であるべきだ」と考えられていたからです。だから、たまに権力欲のある政治家がメディアに介入する発言をすると、大騒ぎになった。ところが、安倍政権になってからは、自民党はおもなニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる。すると、テレビ局は「面倒くさい」となる。対応が大変で、次第に「文句を言われない表現にしようか」となってしまうのです
>原 トラブルが面倒になったら、ジャーナリズムは後退しますよ。「この権力野郎!」というぐらいの気持ちで仕事をし、その結晶で報道が生まれるようでないとダメです
池上 ある番組で、安倍首相の映像がテレビで流れている時に、技術的なミスで違う映像が入ってしまったことがありました。すると「安倍政権を貶めようとしている」と言わんばかりに抗議が来るわけです
明らかに技術担当者のスイッチミスで、番組でも訂正と謝罪をしているにもかかわらずです。私が特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から「ご説明を」と資料を持ってやってきた。こういうことが日常的にあるわけです
>原 私の現役時代はあまりなかったですね。覚えているのは編集局長時代、文部大臣自ら来て、私が言い分を聞いて帰ってもらったことぐらい
>池上 第1次安倍政権(06〜07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年〜)になって復活しました
>原 問題はメディア側にある。弱者に強く、強者に弱くなった。自分たちは読者・視聴者のために仕事をしていると思っていれば、政治家や役人、企業などからくる圧力とは断固として戦い、押し返せるものです


そもそも「週刊朝日」上での対談だからこんな認識になるのだろうということはさておき、まず参院選直前にこういうテーマで安倍政権を批判すること自体に意図を感じてしまう。それでも「言うべきことは言う」との立場であればそれは否定しない。

しかし安倍首相の映像に別の無関係な映像が混じったことついて「技術的なミス」で片づける姿勢は意図的な矮小化を感じる。さもなくばジャーナリストとしていささか職業倫理を軽視するもので不用意、軽率の誹りを免れぬのではあるまいか。

メディアの影響力を自認すればこそ、そこは印象操作と受け取られぬようにしなくてはならない。安倍首相についてはこの種の「事故」「ミス」が複数回発生していた記憶がある。ジャーナリストなら襟を正す姿勢が本来であり、正当な抗議を圧力と言うのは傲慢かつ散漫な意見であろう。もし「昨今のジャーナリストは劣化した」という議論なら、まさにこの点において同感である。

それから、第一次・第二次を通し安倍政権下でこの種の抗議が増えたという議論も胡散臭い。「福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった」というが、福田政権や民主党政権はリベラルもどきで主要メディアの意に沿った政策行動をとる政権だったこと、麻生政権はあまりに短命だったことが理由ではないか。何気ないこの発言自体が、メディアは「反安倍」であることの証で語るに落ちている。

大手メディアや著名ジャーナリストが世論をどのように誘導しようとも、現代はネットで様々な情報が同時並行で発信されている。両氏に限らずこの業界の方々には今更ながら、今は「何が本質か」「誰がどんな意図を持っているか」を昔よりも比べ安い時代であることをお忘れなく、とだけ言いたい。
posted by 三四郎 at 10:54| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

洗脳教育

今度の参院選から選挙権が18歳まで引き下げられるわけだが、公教育の場では「中立な選挙教育のありかた」に腐心しているらしい。そんな中、サヨクは民間のシンポジウムという形をとった洗脳教育を着々と進めている(時事電子版)

>選挙権が18歳以上に引き下げられるのを前に、日弁連は18日、若者を対象に憲法についてのシンポジウムを東京都内で開いた。高校生らがパネリストとして参加し、自民党の憲法改正草案などについて議論した
東京大法学部の石川健治教授は講演で、立憲主義の考え方や日本国憲法の制定経緯などについて説明。「現在の国民は過去の国民から、憲法の保障する自由や権利を守るよう信託され、将来の国民に責任を負っている」と話した
>その後、ジャーナリストの堀潤さんが司会を務め、高校生や大学院生、弁護士らが「私たちの目指す未来」をテーマに議論した
>7月の参院選から選挙権を得る高校3年の藤原和さん(18)は、戦争放棄をうたった憲法9条について、「過去の過ちを再び起こさないためにも守るべきだ」と発言。一橋大大学院修士課程1年の安部農さん(23)は、「抑止力として軍事力を持ちたいという気持ちも理解はできる」と話す一方、安易に中国の脅威をあおる風潮には疑問を呈した
>客席から発言した高校1年の男子生徒(15)は、憲法13条の「すべて国民は個人として尊重される」との条文に関し、自民党の改憲草案が「個人として」を「人として」と言い換えたことに触れ、「個人の生き方が尊重されないように感じる」と批判した


主催者といい講演者と言い、護憲主義の立場で安倍政権に批判的な勢力である。語られる内容も、議論の色合いも客席からの意見も、反自民、反改憲的傾向が強い。これでは白紙に近い若者は「安倍政権=悪」という先入観を刷り込まれるのがオチである。

もともとこの種の教育に政治的な完全中立を求めるのは難しい。そうである以上、主催者は若者に対しては明確で分かりやすい立ち位置の明示をしなければフェアではない。

また若者を指導する立場の親や教師は、参加するなら護憲・改憲双方の情報に触れることを前提として勧めなければならない。「教育」「洗脳」「プロパガンダ」を見分ける術、もしくは心構えをこそ、まず第一に若者には教えるべきだろう。
posted by 三四郎 at 09:43| 千葉 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

危機の本質

いわゆる「スノーデン事件」の当事者でロシアに亡命中のエドワード・スノーデン氏が、日本の東大で開かれた「監視の“今”を考える」というシンポジウムにネット参加し、「日本の危機」について語ったという(@nifty ニュース)

アメリカ国家による国民の監視の実態を内部告発し、世界を震撼させたエドワード・スノーデン氏が4日、亡命先のロシアからネット回線を使い、東京大学(本郷キャンパス)で行われたシンポジウム「監視の“今”を考える」に出席した。個人情報の大量収集が市民社会にもたらす影響や、近年の日本政府による情報コントロールの危険性について鋭く語った

中略

>「日本社会の現状をどう見るか」との質問が出ると、同氏は「特定秘密保護法以降、安倍政権の静かな圧力、インセンティブ(見返り)を伴う圧力がメディアにかかり、危機的な状態では? 視聴率のいいニュース番組のアンカーマンが降板させられている」と指摘したうえで、「ジャーナリズムの役割は政府のいい点、悪い点を評価し、いつ権力の逸脱や乱用があったか、国民に知らせることにあって、それがなければ民主主義の議論は成熟しない」と議論を展開した
>インタビューの最後、さらにスノーデン氏は「結局、プライバシーとは、あなたが公開したくないことは公開しなくていい権利、あなた自身である権利だと思う」と切り出し、「無制限の監視ではプライバシーは社会のものになり、人権侵害の問題に行き着く。政府の方針に任せるのでなく、市民が社会の主役となり、監視のリスクを議論すべきです」と力説した
以下略


国権による無制限な個人の監視は許されるべきではない。しかしテロやグローバル化した犯罪が横行する今日、個人情報への不介入によるリスクとのバランスの上に立って、ゼロサムでない建設的な議論はもっとなされなくてはなるまい。

ところで「強権国家、監視国家」という意味ではロシアも相当なもので、そういう国家に身を寄せている自分に矛盾は感じていないのかという疑問はある。ロシアが同氏を米国との政治的駆け引きの道具にしていることに気づいていないはずはないと思うが。

それはさておき、同氏の日本に対する「危機認識」はかなり偏っていると感じた。特に「特定秘密保護法」や「安倍政権」の「圧力」によるニュース番組のアンカーマン降板云々は何やら日本のサヨク陣営の論調そのものであり、このシンポジウムの主催者の政治的スタンスと軌を一にする、つまり都合のいい広告塔のように見える。

特に「インセンティブ(見返り)を伴う圧力」とは具体的には何か。推定するに公平な報道を行わないTV局に対する「免許停止」「停波」といったところではないかと思うが、実際はこれに賛同する国民も少なくない。それはとりもなおさず、国民の目から見ても現在の報道姿勢がいかに偏向しているかを物語っているという証左であろう。

その意味では一点、同氏の意見に「逆説的に同意」できるところがある。それは日本の社会、とりわけメディアが「危機的状況」にあるということだ。

「報道の自由」を標榜する一方で「報道しない自由」を盾にして自らの行動に縛りをかけているのは、多くの日本国民が感じていることだと思う。とりわけ「在日朝鮮・韓国人の犯罪」「ヘイトスピーチの理由」「特定国への批判」についてはネット社会の今日、その偏向姿勢が際立ってきている。

外国人でも自由に「危機的状況」を堂々と「警告」できる日本社会にあって、何が本当の危機なのか、怪しげな政治団体の主張に踊らされず一人の国民として考えたいものだ。
posted by 三四郎 at 09:44| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

公器の資格

フェイスブックといえば米国初のSNSとして世界的に広く普及している。俺は救いがたい昭和人間で未だ使ったことは無いが、「意識の高い」若い世代を中心に拡大し、携帯電話やメールに連なる「社会の公器」のような存在と化しつつあるらしい。

しかし当の米国で、果たして公器と言えるのかというべき疑惑が浮上しているようだ(時事電子版)

>米フェイスブックザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は14日までに、米共和党に関するニュース表示を同社が意図的に制限したとの一部報道を受け、社内調査を進めていると明らかにした
>問題となっているのは、話題のニュースを紹介する「トレンド」と呼ばれる機能。IT情報サイト「ギズモード」は9日、フェイスブックの元契約社員の証言を基に、共和党の活動や所属議員に関する一部のニュースを意図的に除外していたと報じていた
>フェイスブックによると、利用者が話題にした回数などからニュースを自動的に絞った後、担当者が中立性を保つための社内指針に従い、最終的に紹介するニュースを選択している


仄聞するところによれば、もともとザッカ―バーグ氏は民主党のシンパで、オバマ政権誕生のときにはSNSを駆使してこれを支援したと聞く。IT企業家を多く輩出するカリフォルニア州にはリベラル派が多く、民主党支持を公言する経営者も少なくないらしい。まぁ企業人である前に一人の市民、国民であれば政治スタンスにも主義主張があって当然だろう。

しかしベンチャー企業であるうちはともかく、フェイスブックのように中立を謳う一種の社会インフラの様相を呈するシステムとなればその影響は大きく別な話になる。もし一方の政治勢力のニュースのみを取り上げていたとすれば立派な政治行為であり、今すぐ「中立」という看板を外してそのスタンスを明示すべきだ。

フェイスブックは今、「社会の公器」たる資格を問われている。
posted by 三四郎 at 20:17| 千葉 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

公私混同の羅列

この記事、「政治・経済」に整理すべきか「社会・教育」に分類すべきか一瞬悩んだが、前者にしてはあまりにレベルが低すぎることと、「こういう大人になってはいけない」という教育的含意をもって「社会・教育」にタグ付けした。

舛添東京都知事の公費流用に関する会見報道である。

まあ長ったらしいし、言い訳ばかりで辟易する内容で引用する気も失せる。特に俺的に「秀逸」だと思った行だけ挙げておく。

前段略
会議に使用していたとはいえ、家族と宿泊していた部屋を利用していたことからご懸念を招いたことにつきましては、反省をしております。今後、同様な状況があるとしたら誤解を招かぬように別途、会議に使用する部屋を借りるなどしたいと思います。以上のような観点からこの2件の会議費につきましては、収支報告書の訂正・削除をした上で返金することといたしました
中略
>確かに自宅の近くでもあり、私の家族も利用していることは事実でございます。他方で政治団体の事務所の近くでもありました。従いまして、このイタリア料理店が打ち合わせなどに便利であることから、事務所関係者などとの会合でも使用しているところでございました
中略
>ただ、平成25年6月1日の支出につきましては今回、あらためて確認したところ、政治活動に利用したことまでが確認できませんでした。そこで6月1日の支出につきましては収支報告書の訂正・削除をした上で返金することといたしました
中略
>報道されている回転すし店は、確かに私が役員をしております会社の、湯河原の施設の近所にある店ですので、そこを訪れた際に同店を私が私的に利用したり、また家族で利用することはあります。他方で施設に来た事務所関係者などと同店を利用して打ち合わせなどをしていることも事実であります
中略
>続きまして天ぷら屋さんでございますけれども、研究会の平成25年の2件、および平成26年1件の天ぷら屋における飲食代については、私の個人の飲食代が誤って計上されていることを確認をいたしました。そこで、この3件、合計5万2550円につきましては、収支報告書の訂正・削除をした上で返金することといたしました
>以上、私的に利用した飲食代が誤って含まれていたことが今回の事務所調査で判明をいたしました。当時の経理担当者によれば、いずれの飲食店も私や事務所関係者が政治活動で利用している飲食店であったことから、私の個人の飲食ではあるとは思わず、誤って計上してしまっていたようでございます
中略
>確かにアウトレットで小さな事務用品を入れるのに便利なポーチを購入しておりました。そのポーチは日常の政治活動の際に携行しているかばんの中に入れて使用しておりました。収支報告書に計上することに法律上の問題はないものと考えております

もういいや、以下略

一言でいって見苦しい。そして姑息だ。公金処理に公私混同があったがそれは事務方のミス、報告書を直して返金したからもういいでしょ、という本音も透けて見える。こんな言い訳でお咎めなしとして続けられるほど、都知事は楽なお仕事ではない。

そもそもこのような要職にあるものは公私のけじめを峻別し、疑惑を受けぬよう細心の注意を払うべきことは言うまでもない。舛添氏にその意識があったなら職務怠慢か確信犯、なかったなら知事の資格はない。

この件、東京地検に告発状が提出されているらしいから、検察当局は徹底的な捜査、追及をしてもらいたい。他自治体のことながら、俺の故郷である東京がこのような下衆の極みを首長に抱いているかと思うと情けないし、何より東京五輪開催地として世界に恥をかくことになる。
posted by 三四郎 at 20:08| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(3) | 社会・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする