2015年05月17日

己が見えていない

韓国・サムソンの新型スマホ「ギャラクシーS6」。日本向けにはサムソンのロゴを隠すなどの涙ぐましいマーケティング(?)にも関わらず、販売が伸びていない。これについて韓国のビジネス誌では「日本の欧米拝跪主義」「日本人の排外主義」が原因だと、頓珍漢な分析をしているらしい(Livedoor'NEWS)

>4月に発売された、サムスンのGalaxy S6とS6 edgeの販売が低迷している。アップルからシェアを奪うべく、渾身の力を込めて日本市場に投入された最新作だっただけに、ガッカリ感が広がった。また、日本独特の諸事情により、市場攻略の難しさを指摘する声もある
>サムスンは今回、あえて自社ロゴを製品から廃し、「Galaxy」のブランド名だけを製品に記すという思い切ったイメージ変革に着手した(Ubergizmo)。また、日本法人の最高執行責任者には、NECやシスコシステムズで業界経験の豊富な堤浩幸氏を起用し、事業のテコ入れを図っている(Korea IT Times)

中略

>海外ITメディアは、日本での不振の原因をそれぞれ推測している
>各紙共通なのは、アップルの存在だ。『Korea IT Times』によれば、日本市場ではサムスンの4.6%に対し、アップルのシェアは40%を超える。『Ubergizmo』は日本の人気スマホ上位10機種中、6機種がiPhoneであり、アップル人気は圧倒的と指摘。iPhoneはもはやコミュニケーション・ツールを越え、ステータス・シンボルになっていると述べる
『ビジネス・コリア』は、戦後アメリカに占領されていた日本では、西洋は東洋よりも優れているという「マッカーサー・シンドローム」なるものがあるとし、アップル人気もいくらかここに起因すると指摘。また歴史問題で日韓の関係が悪化していることも、サムスン不人気の要因と考えられると述べている
>『Korea IT Times』は、日本のスマホ業界はアジア企業には参入が難しく、消費者も国産ブランドを好むとするアナリストの意見を紹介。さらに、「日本は欧米に共鳴する傾向があり、アジア諸国を見下す。根深い極端な排他主義だ」という韓国の日本人大学教授の言葉を引用し、『ビジネス・コリア』よりもさらに過激な考察を示した
>さて、アメリカのITブログ『Apple Insider』は、韓国聯合ニュースの報道を引用し、地元韓国では、予約数30万台と発表されたGalaxy S6 ラインナップの販売は、4月10日から20日までで、「20万台強」にとどまっていると伝えている。韓国では、キャリアが携帯に付ける補助金の上限が法律で定められており、最近までサムスンの携帯への補助金が低く抑えられてきたことが原因と見られているそうだ
>「補助金の額が増えれば、販売数も伸びる」と楽観視するリテーラーもいるようだが、国内外を問わず、今後のセールスが気になるところだ


「マッカーサーシンドローム」とか「アジア諸国を見下す。根深い極端な排他主義」などとネガティブというよりむしろ悪意的な「分析」は韓国系メディアによるものだから、「ま〜た始まった」という感じではあるが、自国製品の不人気を他者に理由づけし責任転嫁する姿勢は相変わらずの「困ったちゃん」ぶりだ。

いちいち反論するのも面倒だが、指摘される通り日本が米国製万歳ならアメ車が日本車よりももっと売れていいはずだし、パソコンなんかでは台湾製が個人法人向け問わず非常に浸透している説明がつかない。

もちろん、日本人の韓国に対するイメージ、感情が悪化していることも無関係ではあるまい。しかしそもそも格安スマホは中国・小米製が猛烈な勢いで伸びている。要はギャラクシーS6には日本人顧客に訴求できる魅力がないということに尽きるのではないか。

米国メディアは地元韓国でさえ売れていないことを報じている。「補助金頼み」ということ自体、製品そのものには格別な魅力がないことの証拠だろう。

政治でも経済でも商売でも、韓国というのは己が見えていない。だから真の先進国になれないのだといつになったら気づくのか。
posted by 三四郎 at 12:33| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

一線を越えた

フランスの週刊紙への銃撃テロの後、件の週刊紙シャルリエブドは最新号でムハンマドを大きく描き、世界各地のイスラム教徒の反感を買っているようだ。アフリカでは大規模な抗議デモに加え、キリスト教教会やフランス文化センターが襲撃され死傷者を出す事態になっているらしい(読売電子版)。

>AP通信によると、アルジェリアの首都アルジェで16日、仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」が特別号の表紙にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことに抗議するデモがあった
>金曜礼拝を終えた約1000人が街の中心部に集まり、「私はシャルリーではない。私はムハンマドだ」と叫んだ。欧州では「私はシャルリー」が、シャルリー・エブドへの連帯を示す合言葉になっている
>AFP通信によると、アフリカのニジェール南部ジンデルで16日、「シャルリー・エブド」特別号に抗議する数千人規模のデモがあり、キリスト教の3教会とフランス文化センターが襲撃された。少なくとも4人が死亡、45人が負傷した


メディアへの銃撃テロが擁護される余地のない殺人という犯罪であることに変わりはない。言論の自由もまた民主国家の基盤をなすものだ。そういう前提のもとに言うのだが、シャルリエブドは一線を越えてしまっていると俺は思う。

シャルリエブドが批判しようとしていたのは何か、仏語を解せずその内容も分からぬ俺には知る由もないが、革命を起こしてまで民主主義を勝ち取ったフランスである、ある宗教や信仰、思想信条を否定しようとしたとは考えにくい。その対象はおそらくは独裁と混迷が交互するイスラム国家やイスラム過激派、テロリストたちであって少なくともイスラム教やムハンマドそのものではなかろう。

そう考えれば、批判対象としてロリストやその指導者、支援者を取り上げれば済むことだ。アラーやムハンマドの偶像化そのものがイスラム最大のタブーとされていることを承知で、ムハンマドの風刺画を描く行為は、俺には侮辱からの挑発としか感じられない。

この件ではローマ法王がコメントを出している(産経電子版)

ローマ法王フランシスコは15日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載するなどしたフランス週刊紙シャルリエブドの銃撃事件をめぐり、「他者の信仰をもてあそんではならない」と述べ、表現の自由にも一定の限度があるとの考えを示した。AP通信などが伝えた
>スリランカからフィリピンに向かう機中で語った
>法王は、表現の自由は市民の基本的な権利であると強調。神の名によって人を殺害するのは常軌を逸しており、決して正当化できないと述べた
>その一方で、宗教をからかう者は挑発者だと指摘。他者の信仰を侮辱したり、からかったりしてはならないと語った


このコメントから俺は、健全な常識に基づく正常な判断力という、宗教の枠を超え神なる存在から人間に授けられた叡智を感じる。フランスは基本的にカトリックの国だろう。法王のこの言葉をどう受け止めるのか。

議会で「ラ・マルセイエーズ」を斉唱し「戦争だ」と叫ぶのも勝手だが、一度頭を冷やして胸に手を当てて考えるのも必要ではないか。
posted by 三四郎 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(4) | TrackBack(1) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

韓国らしい話

大韓航空の副社長が自社機のファーストクラスに乗り合わせ、そのサービスが「マニュアル通りでない」として責任者を叱責、降機させて出発時刻を遅延させたニュースは、聞けば聞くほど「韓国らしい」と言うしかないものだ(読売電子版)

>大韓航空の趙顕娥(チョヒョナ)前副社長(40)が乗った同社機で乗務員のナッツの出し方を叱責され、同機から降ろされたサービス責任者の男性が12日、韓国の公共放送KBSのインタビューに応じた
男性は、機内サービスの指針が入ったケースの角で趙氏に手の甲を数回突かれて負傷したと証言。大韓航空の関係者が「罵声を浴びておらず、自分の判断で飛行機を降りた」などと、虚偽の供述をするよう強要したと主張した。一方、趙氏は同日夜、韓国の記者団に対し、「初めて聞いた話だ」と否定した


大韓航空と言えば韓国のナショナル・エアライン、日本で言うJALのようなものだろう。それが会長の娘が弱冠40歳にして副社長という地位にあるという事実にまず驚いた。いかに有能な人材だったとしても、一国を代表する企業であれば、縁故や情実で人事が行われることはあってはならない。

今回、件の副社長はその地位にふさわしい人材でないことを自ら証明してしまったわけであれば、結局「適材適所」などではなく、前近代的な縁故人事ゆえの弊害だったことになる。企業は社会の公器という認識が、これだけの会社でも無かったということである。

それから上記の記事である。サービス責任者と前副社長の証言が全く正反対、どちらかがウソをついているわけだが、虚偽の供述を強要するなどは、産経元支局長へ「穏便に済ませてやるから謝罪しろ」という検察の圧力や、日本の水泳選手の「窃盗事件」で警察が「認めなければ出国できない」とか脅しともとれる聴取をしたとかいう話と考え合わせると、あの国なら普通にやりそうなことだと思う。

セウォル号事故といい、今回の「ナッツ事件」といい、今年は韓国と言う国柄、社会の構造的な問題を象徴する事故、事件が多い一年だったように思う。しかし油断できないのは、まだ今年は半月残っていることだ。何が起こるか、予想の斜め上を行く国ではあるが、願わくば日本に絡まないことを望むばかりだ。
posted by 三四郎 at 16:15| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

対話不能半島

北朝鮮のNo2とその側近粛清の事情が一般紙に伝わっているが、それを読む限り前近代的な「暴君政治」の典型を見るようだ(読売電子版)

>北朝鮮で政権ナンバー2だった張成沢(チャンソンテク)朝鮮労働党行政部長が処刑されたのは、張氏の部下2人が、党行政部の利権を軍に回すようにとの金正恩(キムジョンウン)第1書記の指示を即座に実行しなかったことが契機になったと20日、消息筋が本紙に語った
金正恩氏はこれに激怒し、2人の処刑を命じ、国防委員会副委員長も務めた張氏らに対する一連の粛清が開始されたという
>部下2人は、同部の李竜河(リリョンハ)第1副部長と張秀吉(チャンスギル)副部長。消息筋によると、2人は金正恩氏の指示に対し、「張成沢部長に報告する」と即答を避けた。激怒した正恩氏は「泥酔状態」で処刑を命じたという
部下2人は11月下旬に銃殺され、驚いた2人の周辺人物が海外の関係者に電話で処刑を知らせた。韓国政府はこの通話内容を傍受し、関連人物の聞き取りなどから張氏の粛清が避けられないことを察知した。最終的に処刑された張氏勢力は少なくとも8人いたという


まるでローマ帝国の暴君か一頃のアフリカ独裁国家の元首を見るようだ。記事どおり「泥酔状態」で処刑を指示したとすれば、彼の国の統治機構は狂人の判断が基礎となっていることになる。「テロ国家」どころかもはや「国家」とさえ呼べないのではないか。

このような「集団」と「6カ国協議」などと称して「国家間」の話し合いなど土台無理な話で、「茶番劇」と呼ぶもおこがましい。しかも当事者を除けば「狂犬の飼主にして自らも誇大妄想狂」の中国、「同じメンタリティを持ち民主主義の仮面を被った幼児国家」韓国、「テロ支援の腹黒国家」のロシアと、脛どころか全身傷まみれの問題国が半分である。

加えて「世界の警察」役を忌避し、完全に威信と指導力を失ったオバマの米国では会議は開くだけ無駄というものだ。

日本は拉致問題があり完全に半島を無視することも適わないが、基本は南北ともに防衛と情報収集に徹し、支援や取引をする相手とは見做さないほうがよかろう。要は、まともな話のできる相手ではないという認識を持つことに尽きる。
posted by 三四郎 at 11:30| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月29日

だっさ

韓国といえばパクリのイメージが強い。とりわけスナック菓子や清涼飲料水はネーミングやパッケージが日本の商品とそっくりなものがごろごろしている。そんな韓国だが、またここに新たな輝ける歴史が書き加えられたようだ(サーチナ)

日本の生活用品店「ダイソー(DAISO)」の韓国の商標権者が、韓国の雑貨店「ダサソー(DASASO)」の運営会社を相手取り商標権侵害を訴えた裁判で、韓国西部地裁は29日、原告敗訴の判決を言い渡した。複数の韓国メディアが報じた
>同地裁は、両社の商標の外観が似ていないのは肉眼でも分かるとし、呼称も同じ3文字から成るものの中間の音は「イ」と「サ」で異なり、聞いた時の印象は明らかに違うと判断した
>同地裁はまた、「ダイソー」が韓国語の「全部ある(ダ イッソ」と聞こえ、日本語の単語だとの印象も与える反面、「ダサソー」は韓国語の「全部買って下さい(ダ サセヨ)」を意味する慶尚道方言の「ダ サッソ」に近いと指摘。両社の商標は「外観、発音、観念が異なり、ダサソーがダイソーの商標を侵害するとみなすことはできない」と説明した
>今回の判決は、「ダイソー」の商標権者が「ダサソー」の商標権侵害禁止を求めた仮処分申請で、2013年4月に一部が認められた判決を覆すもの。今後「ダサソー」が仮処分の中止を求める申請を提出し、受理されれば、看板や広告などに「ダサソー」の商標が使える


判決理由がどうも苦し紛れの強弁に聞こえるのは俺だけか。中間の音が違う代わりに最初と最後の音は同じだし、最後が長音で終わるのも一緒だ。そもそも同業種の商標である。商標の認知度や登録の時系列など論点は多いはずだ。印象論で片づけるのは少し粗雑に過ぎないか。

さすがまともな法理がない「情治めの国」だけのことはある。まして相手は日本企業の商標なら何としても韓国に不利な判決はだすまい。だいたい明らかな盗品である仏像さえ返さない国柄なのだ。

つくづくと「だっさい」国である。
posted by 三四郎 at 23:54| 千葉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 異文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする