2010年01月01日

謹賀新年

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あけましておめでとうございます。

おかげさまで拙ブログも新たな年を迎えることができました。「凡人の戯言」におつきあいいただいている皆さまに改めて感謝申し上げます。

今年が皆さまにとって良き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
今年もよろしくお願いいたします。
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2009年07月12日

幸福の意味

英国のシンクタンクが世界143カ国・地域における「幸福度」なるものを調査した結果、1位はコスタリカで、上位にはラテンアメリカ諸国がランクインしたという(CNN日本語電子版)

>英国のシンクタンク、新経済財団(NEF)が4日、世界143カ国・地域の「幸福度」について調査した結果を発表、世界一幸せな国に中米コスタリカが選ばれた。上位10カ国中には、ラテンアメリカ諸国が9カ国ランクインした。日本は75位だった
>NEFは世界各地の人々が感じる人生への満足度に加えて、環境に対する負荷の度合いや国への期待度などをそれぞれ数値に換算した幸福度指数(HPI)を算出。その結果、コスタリカが76.1ポイントと最高だった
>コスタリカは中米のニカラグアとパナマにはさまれた国。熱帯雨林や美しい海岸で知られ、エコツーリズムが盛んで、世界各国から観光客が訪れる。大統領は1987年にノーベル平和賞を受賞したアリアス・サンチェス氏
>コスタリカに続いてHPIが高かったのはドミニカ共和国で71.8ポイント。以下、3位ジャマイカ(70.1)、4位グアテマラ(68.4)、5位ベトナム(66.5)、6位コロンビア(66.1)、7位キューバ(65.7)、8位エルサルバドル(61.5)、9位ブラジル(61.0)、10位ホンジュラス(61.0)と、ラテンアメリカ諸国が上位を占めた
>一方、先進国では英国が74位、日本が75位、米国が114位と低迷した。これは、大量消費社会で、環境への負荷が高いことを反映したためだと見られる
反対に幸福度数が最も低かったのは、長期にわたる独裁政権下にあり経済が崩壊状態のアフリカ南部ジンバブエで、16.6ポイントだった。次いでタンザニア(17.8)、ボツワナ(20.9)、ナミビア(21.1)、ブルンジ(21.8)など、アフリカ諸国が名を連ねた

「幸福度」なる指標は初めて聞いた。どういうロジックで「幸福」を数値化するのか分からないが、上位10カ国中9カ国がラテンアメリカというところに指標としての客観性を疑わしめるものがある。そもそも「人生への満足度」などどうして測れるのだろう。「環境に対する負荷の度合い」は確かに数値化しやすいと思うが、それが「幸福度」とどうリンクするのか分からない。「国への期待度」もまた微妙で、「期待するものが少ない」ということは満足の証とも言えるが、同時に諦念の裏返しとも言える。また「より多く期待する」ということは不満足の表れとも言えるが、現状が既に高い生活レベルにあるため要求が高度になっているとも言えるだろう。

同じ尺度で測った結果だけを見ても、複雑系の塊のような人間の思考や感性を正しくあらわしきれるものではない。単純な話、麻薬マフィアが跋扈し、政情不安のつきまとう中南米の国よりも、まだまだ治安は良いとされる日本国民であることのほうが、俺は断然幸せだと感じている。

別段「知的なお遊び」の類と思えばそれでいいのだが、ともすればこうした「国別ランキング」というものは政治的に利用されやすいものである。「幸福度」などという曖昧な指標によって「やはり今の日本は幸福だと思えない国で、中米諸国にも劣る。全て政治が悪いのだ」という方面に流れていく可能性があることを懸念するのみだ。

それにしても、「幸福度」上位についてはかなり異論がある俺だが、下位の結果は首肯できるものだった。「独裁政権」「経済破綻」の国で「幸福」と感じる人物がいればそれは権力者だけだろう。

「幸福な家庭はどこも互いに似通ったものだが、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものだ」とはトルストイが「アンナ・カレーニナ」の冒頭に記した言葉だが、国家レベルで考えるとどうも逆ではないかと言う気が俺はしている。国民が「幸福」を感じるレベルには、国情に応じて際限がないが、「不幸」のほうはこれ以上ないと感じるレベルがある。それは「食べていけない」「モノを言えない」ということだ。

国に文句を言えるだけ、日本はいい国だと俺は思う。
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2009年06月21日

光開通しました

そういえば今日はうちの電話回線を光に変更する工事のある日だった。気がついたのが昨日で、LPガスの遠隔監視をしている都合上、ガス会社へ急いで連絡したが、この対応は月曜に持ち越しだ。

光化の工事は今日の午後からと言うことだったが、午前11時ころ電話があり、これから工事に伺っていいかと聞いてきた。早く済む分には異存がないので承知した。

それから10分ごろやってきて、雨の中早速工事が始まった。と言っても電話配管の中の配線を引きかえるのが主で、あとは開通試験とモバイルPCでプロバイダ設定をするだけ。延べ1時間足らずで終わった。

光ルータの位置を決めかねていたら、「長めに配線しときます」といって光ケーブルを10mくらいとぐろを巻いておいて行った。とりあえず家の無線LANルータにつないだら何事もなくネットが使えた。体感速度はあまり変わらないが、これはPCがボロだから仕方がない。

でそのあとが大変だった。ルータや電話機の位置をきちんとしないと猫2匹に滅茶苦茶にされそうなので、テーブルや食器棚を移動し、カーペットを剥がして古いケーブルを撤去し、そこまでしてLANケーブルの長さが足りないことに気づき、ホームセンターに行って新しいケーブルを買い戻り、家具やカーペットの裏を掃除して、とかみさんと二人で戦争のような騒ぎになった。外は梅雨の雨である。

およそ2時間後にようやく片付き、再セットしてPCからネットが繋がることを確認した。じめじめした中で汗びっしょりになり、くたびれ果てていたらちょうど缶ビールが2本、冷蔵庫にあったのでカーッと飲み干した。

ドタバタの中、とりあえず電話とネットは光に移行した。あとはTVだが、これは金欠病なので当分先だ。
posted by 三四郎 at 16:44| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

無事生還

しばらく留守にしまして折角訪問いただいた皆様には失礼いたしました。
おかげさまで無事仕事を終えて、中国から戻ってこれました。17日午後に帰国しましたが、報告書のまとめで時間がとれず、ようやく今日、仕事以外でPCに向かうことができました。

今回の出張は昨年、北米欧州へ出向いた時と同じ調査用件ですが、2泊3日という短時間であったことと、もともと5月に予定されていたものが新型インフルエンザの関係で1か月先送りされたということで、報告書作成を急かされていたため、自由な時間は全くありませんでした。まあ仕事ですからね。

新型インフルエンザについては日本からの便ということで機内検疫がありました。全身を包む防塵服のようなものを着こみ、ゴーグルというものものしい恰好をした検疫官が非接触の体温計を額にあてて体温をチェックし、健康状態の申告書を確認していました。日本は真面目に厳しいチェックをしていたからこそ感染者数が伸びているだけで、あんたらの国の方がよほどひどいんじゃないの? と心の中で言いました。

訪問先は広州市内の中国の某国営企業体で、門と玄関に武装警官が常駐し、出入りをチェックしていましたので写真はNG。余計なトラブルは御免というわけで、移動中もデジカメは持ち歩きませんでした。

出発前は、中国ではかなりの都市の高級と言われるホテルでも、トイレはすぐ詰まるので基本、流せないとか衛生状態が悪いから正露丸を持って行けとかずいぶん脅かされました。しかし宿泊先はホリデイ・インで外資系ということもあり一応4つ星ランクなのでそこら辺は大丈夫のようでした。

しかしチェックインして自室へ入ろうとしたらカードキーが全く反応せず弱りました。同行していた北京駐在員(日本人)を呼び出して通訳をたのみ、ホテルの担当者に現場を見てもらいました。鷹揚にやってきてカードを抜き差ししますと、何回かに一回は反応します。反応しないときは拳で錠前を叩いて反応させていました。

それから私の方を向き「これでどうだ」という顔をします。そんな顔されても困ります。で、「毎回これじゃこまるから部屋を変えてくれ」、と頼むとあっさりチェンジしてくれました。「不好意思」と言ってました。謝罪の言葉のようです。一応外資系なのでそこら辺は教育されているようです。ともあれようやく自室で寛げます。窓の外を見ると、林立する高層ビルと、屋上が「野原」のようになった集合住宅が見えました。仕事もしないうちから疲れがでました(orz)。これは私の中国原体験になりそうです。

広州市街







<ホテルから見る広州市街>

その夜は北京駐在員2名、日本からの同行者1名、同じく日本からきた客先の担当者2名の計6人でタクシーに分乗し、何とかいう広東料理のレストランへ行きました。中国食品には全くいい印象のない私ですが、ここは中国、どこへ行っても中国製食材ばかりです。飢死しにきたのではありませんし、お客様も同行していることですから否応なく入りました。店名は読めません(w)。

趣のある中庭があって、ちょうどスコールのような雨が一降りしたあとでしたが、靄がかかったような濃緑の林と池の眺めはなかなかいいものでした。しかし食堂へいく屋外回廊の途中で、おっさんが養生もせずに電動のこぎりで鉄パイプを切っていました。とうぜん通り道に火花が散ります。しかし振り向くでもなくわれ関せずです。北京から来た通訳の女性が甲高い声で何か言ってました。おっさんは少し体を横にしましたが作業はやめません。相変わらず火花が散っています。仕方なく反対側の壁にへばりつくようにして通り過ぎました(orz)。

料理はこれまた駐在員に任せて5〜6品頼みました。お勧めの店だけあり、もともと広東料理は比較的淡白な味付けで日本人にもなじみやすいと言われているだけに美味でした。

翌日は件の国営企業で仕事です。顧客はあくまで日本企業ですが、いきさつや内容は障りがあるので書けません。ホテルから現地までタクシーで移動するわけですが、割り込みや信号無視は朝飯前のようです。派手な桃色の服を着たおばさんが乗る自転車に、私の乗ったタクシーが接触しそうになりましたが、猛然と通過しました。運転手は気づいていない風でした(汗)。かと思うと、赤茶色に錆びた自転車に乗った作業服姿のおっさんが、5kgくらいのプロパンガスのボンベを2本、荷台の脇に括りつけて猛スピードの車が行き交う車道を悠然とこいでいます。「中国」を実感した瞬間でした(w)。

で、いろいろ表に出せないことやら、現地スタッフが広東語で話しこれを北京語で通訳の女性に話し、彼女が日本語に直すという、何ともまだるっこしいやりとりのおかげで、朝の10時から夕方6時までびっしりかかりました。ちなみに広東人は標準語たる北京語を一応理解していましたが、通訳の女性は北京っ子で「広東語は全く分からない」とのことです。広東人同士の会話のときは鼻歌を歌っていました(w)。すべて終わったころには「辛苦了」(おつかれさま、だそうです)の言葉が行き交いました。

でまた夜がきて食事の時間となるわけですが、今回は客先の広州事務所の方が接待してくれました。で行った先が「鴻星海鮮酒家」。何でも広州では「超」有名な店だそうです。そのわけは入って分かりました。

何ともダイナミックな呼び込みをしているお兄さんやお姉さんの立つ玄関を抜けるといきなり水槽が並びます。そこには魚やエビなどの食材が生きたままうごめいています。客はそれを見て食べたいものを選ぶと、水槽の間にビニル袋を持って立つおっさんが鷲掴みにして袋に入れ、赤いチャイナ服を着たお姉さんが伝票に付けて料理法などを確認し、おっさんが厨房に持っていく間に、お姉さんが席に案内するという段取りのようです。まあ最初はエビやカニなど当たり前の食材が目につきましたが、そのうち奇妙な顔や妙に鮮やかな色の魚がいるのに気づきます。いつかTVで見た香港あたりの「悪食市場」の記憶が脳裏をよぎりとてもいやな予感がし始めましたところ、やっぱりいました。あれです。

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<海鮮食材:蛇と鼈>

日本人メンバーがしばし凍りつきましたのは言うまでもありません。「海鮮酒家」という言葉に幻惑された自分の迂闊さを呪いました。どうも「海鮮」というのは「水棲」というほどの意味なのだろうとようやく気付きました(orz)。さらに視線を移しますとその先にはこれ。

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<海鮮食材:鰐>

もう笑うしかありません。さらに奥へ進みますといるわいるわ(w)。

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<海鮮食材:いろいろその1>

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<海鮮食材:いろいろその2>

蛙などポピュラーなようです。これは北京駐在員氏も食べたことがあるようで「鶏肉そのもの」と言っていました。その2の左側はゲンゴロウ、右側の長いのは「うなぎ」だそうですがどうもそうは見えません(寒)。
で一周したら威勢のいいお兄さんが肉塊をつかんで何かをわめいています。どうやら「美味いから食ってみろ」と言っているようです(言葉は分かりませんが目がそう言っていました)。それがこれ。

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<海鮮食材:鰐ブロック>

鰐もこうなっては形無しです。さて、いつまでも見ているわけにもいきませんが、さりとて選べと言われてもなかなか決心がつきません。ここは客先の広東人スタッフにお任せしました。ただし蛇だの虫だのは遠慮させていただきました。結局、エビだのタニシだのイカだのといった無難な食材を選んでくれましたが、「せっかく広州にきたのだから」と、鰐も食べさせられました。何か強力な火力で炒めたような、煮たような感じでしたが、言われなければ何の肉かわかりません。食感はちょっと貝柱に似ていました。想像していたより不味いものではありませんでしたが、また食べたいとは思いません(w)。

まさに「毒気にあてられた」ような状態になり、昼間の疲れも出て、ホテルに帰ったら10時過ぎには爆睡状態でした。翌朝の飛行機は9:20発なので5時ころには起きて荷造りをし、7時過ぎには速攻でタクシーに乗り空港へ向かいました。

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<広州白雲国際空港出発ロビー>

慌ただしい旅でしたが、中国ですからこのくらいでちょうどいいでしょう。ここに1週間以上いたら体調を崩して病院に隔離されているかもしれません。中国に赴任しろなどと言われたら卒倒しそうです。若かりし頃はそれなりに中国文化に憧れもあり、延べ1年ほど北京語を勉強したものですが、天安門事件で中共の歪みを同時進行形で見るところとなり、以後、大はエスカレートする反日政策、小はブランド剽窃や毒入り食品のような劣悪な商品管理に幻滅して関心も魅力も失せました。そうなるとすっかり言葉も忘れました。

しかしもともと中国文化には魅かれるものがあり、そのため台湾はその親日性もあって好きな国の一つです。大陸が中共の支配と反日の呪縛から解放されたとき、また好きになれる日がくるといいなと思いました。たぶん私が生きている間は無理でしょうが。

土産に空港内の印章店で自分と妻の干支を冠した石で印鑑を作ってもらいました。青年が手彫りで作るようです。姓を紙に書いて渡すと10分で趣のある印鑑ができました。「漂亮」と言ったらうれしそうな表情を見せてくれました。「終わりよければすべてよし」、一日前の大雨も今はなく、空路日本へ帰ります。
posted by 三四郎 at 12:55| Comment(5) | TrackBack(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

自分で踏んでどうする

ふと自分のサイトを覗いたらカウンターが「110,000」になっていた。切りのいい数字、自分で踏んでしまった。うれしいやらつまらないやら・・。
そういえば「100,000」のときは後から「そうだった」と気がついたんだっけ。これは流石に俺自身ではなかったけど。

つまらん屁理屈と繰り言のようなブログですが、毎日だいたい100〜150人くらいの方にお立ちよりいただいています。仕事頭の切り替えにと続けていますが、こうして読んでいただけていること、とてもうれしく、ありがたいことだと思います。引き続きよろしくお願いします。
posted by 三四郎 at 20:01| Comment(8) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする